原敬暗殺事件

高校日本史的重要度
★★

原敬暗殺事件 (はらたかしあんさつじけん)

1921年

【概説】
1921年(大正10年)11月4日、本格的な政党内閣を率いていた「平民宰相原敬が、東京駅丸の内南口において青年に刺殺されたテロリズム事件。この凶行は、大正デモクラシーの下でようやく軌道に乗り始めた政党政治に冷や水を浴びせ、本格的な政党内閣の継続を一時的に断絶させる大きな歴史的転換点となった。

初の本格的政党内閣と「平民宰相」の光と影

1918年(大正7年)の米騒動を契機に寺内正毅内閣が崩壊すると、立憲政友会総裁であった原敬が組閣の大命を受けた。原は衆議院に議席を持つ初の首相であり、爵位を持たないことから「平民宰相」と呼ばれ、国民から熱狂的な歓迎を受けた。原内閣は、陸海軍大臣と外務大臣を除く全閣僚を政友会党員で固めた、日本初の本格的政党内閣であった。原は、教育機関の拡充や交通・通信網の整備、産業の振興などを掲げて積極的な政策を推し進めた。

普選運動の抑圧と高まる政治不信

しかし、大正デモクラシーの風潮のなかで高まっていた普通選挙の導入要求に対して、原は「時期尚早」として頑なに拒否し続けた。小選挙区制の導入など自党に有利な選挙制度改革を行う一方で、急進的な社会主義運動や労働運動を厳しく弾圧したため、次第に知識人や民衆の失望を買うようになっていった。

さらに、積極政策の裏側で政党と政商や一部資本家との癒着が疑われ、東京市電疑獄などの汚職事件が相次いで発覚した。これにより、政治腐敗に対する批判や政府への不満が、右翼勢力をはじめとする社会全体に急激に蓄積されていったのである。

東京駅での凶行と政党政治の挫折

1921年(大正10年)11月4日、京都で開かれる政友会大会へ向かうため、東京駅丸の内南口の改札口へ歩いていた原敬は、鉄道省大塚駅の転轍手(てんてつしゅ)であった青年・中岡艮一に短刀で胸を刺され、即死した。犯人の青年は右翼的な思想に傾倒しており、政界の腐敗や社会の混乱に対する義憤から単独で凶行に及んだとされている。

この原敬暗殺事件により、原という強力なリーダーを失った政友会は内部抗争によって分裂し、後を継いだ高橋是清内閣も短命に終わった。その後、再び官僚や海軍出身者を中心とする非政党内閣超然内閣)が続くこととなり、日本の政党政治は1924年(大正13年)の護憲三派内閣成立までの間、手痛い挫折と停滞を余儀なくされたのである。

最終更新:
2026年8月26日 @ 17:21

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