右翼
【概説】
近代日本において、天皇を中心とする国家秩序(国体)の擁護、共産主義や自由主義への対抗、および排外的対外強硬論を主張した思想的・政治的勢力。特に昭和恐慌期以降、政党政治や財閥を既得権益として激しく批判し、暴力的なテロリズムを通じて現状打破を図る過激な運動(超国家主義・革新右翼)へと先鋭化した。
明治・大正期の源流から大衆化への変遷
日本の近代右翼のルーツは、明治初期の自由民権運動の左折や士族授産の動きから生まれた玄洋社(1881年結成)や、のちの黒龍会(1901年結成)などのアジア主義団体にある。彼らは対外強硬論を唱え、日本の大陸進出を民間から支援・教唆する役割を担った。
大正期に入ると、ロシア革命の影響による社会主義運動の勃興や労働運動の高揚に対抗し、反共主義や国体擁護を掲げる「民間右翼」が多数組織された。この時期、単なる現状維持ではなく、国家機構の根本的改造(国家社会主義的な変革)を目指す北一輝や大川周明らの革新右翼(超国家主義)が台頭し、昭和期の右翼運動の理論的支柱となっていった。
昭和恐慌とテロリズムの台頭
1929年の世界恐慌に端を発する昭和恐慌は、農村の窮乏や失業者の激増をもたらし、政党政治や資本主義に対する国民の不信感を決定づけた。右翼勢力は、既得権益を守る政党政治家や財閥を「君側の奸(くんそくのかん:天皇の側近にいる悪人)」として激しく批判し、陸海軍内の中堅・若手将校(皇道派など)と結びついて直接行動(テロリズム)へと傾斜していった。
その結果、1932年には井上日召率いる血盟団による血盟団事件、さらに海軍青年将校らによる五・一五事件が発生して犬養毅首相が暗殺され、大正デモクラシーを支えた政党内閣期が終焉を迎えた。さらに1936年には、北一輝の思想に影響を受けた陸軍青年将校らによる最大規模の武装蜂起である二・二六事件が勃発し、高橋是清蔵相や斎藤実内大臣らが殺害される未曾有の軍事クーデター未遂事件へと発展した。
国家統制への埋没と歴史的影響
二・二六事件の鎮圧以後、右翼勢力の急進的なテロ活動は軍部主導の統制により抑え込まれることとなった。しかし、彼らが掲げた「天皇を中心とする国体の本義」や「アジアの解放(東亜新秩序の建設)」といった排外的・膨張主義的な理念は、むしろ軍部や官僚らによって国家の公式な国策へと取り込まれていくこととなった。
1940年に結成された大政翼賛会により、多くの右翼団体はこれに合流・解散し、戦争遂行のための国民動員体制に埋没していった。近代日本の右翼運動は、社会矛盾(格差や経済不況)への不満を背景に、天皇への絶対忠誠をスローガンとして急進・過激化し、結果として民主主義的な統治システムを破壊して軍国主義への道を地ならししたという歴史的側面を持っている。