八坂神社(祇園社)

高校日本史的重要度
★

祇

「祇」の書き方

八坂神社(祇園社) (やさかじんじゃ(ぎおんしゃ)

【概説】
京都市東山区に鎮座し、中世を通じて「祇園社」や「感神院」と称された全国の祇園信仰の総本社。平安時代に創祀され、疫病退散を祈る「祇園御霊会(現在の祇園祭)」の母体となった神社。明治初期の神仏分離令の際に、現在の「八坂神社」へと改称された。

祇園社の創祀と神仏習合

八坂神社の起源には諸説あるが、平安時代の斉衡3年(856年)や元慶3年(879年)の創建説が有力とされる。創建当初は神道と仏教が融合した神仏習合の色彩が極めて強く、仏教の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)を本尊とする「感神院(かんしんいん)」という寺院としての性格を有していた。この牛頭天王が、日本神話に登場する素戔嗚尊(すさのおのみこと)と結びつき、祇園社の祭神として信仰を集めることとなった。平安後期には、延暦寺(比叡山)の末寺としてその支配下に組み込まれ、独自の勢力を伸ばした。

祇園御霊会の発生と京都の都市文化

平安時代中期、都では疫病や災害の流行を社会的な不満や非業の死を遂げた者の怨霊の祟りとする御霊信仰(ごりょうしんこう)が急速に広まった。貞観11年(869年)、全国の国の数にあわせた66本の矛を立て、祇園社の神輿を迎えて疫病退散を祈ったことが、のちの祇園御霊会(祇園祭)の始まりとされる。この祭礼は当初、朝廷や貴族が中心となって執り行われたが、室町時代以降は京都の町衆(自治組織を持つ豊かな商工業者)が運営の主導権を握るようになり、京都の都市文化を象徴する日本最大級の祭礼へと発展していった。

最終更新:
2026年8月12日 @ 16:38

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