銅鏡
【概説】
中国大陸や朝鮮半島から日本列島へ伝来し、弥生時代から古墳時代にかけて祭祀具や権威の象徴として用いられた青銅製の鏡。中国では本来、姿を映す実用品であったが、日本では太陽光を反射する神秘性から呪術的な力を持つ宝器として珍重された。古墳の副葬品としても多数出土し、古代国家の形成過程やヤマト王権の政治的関係を解明する上で極めて重要な考古史料である。
日本列島への伝来と独自の受容
日本列島における銅鏡の歴史は、弥生時代前期に朝鮮半島から多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)がもたらされたことに始まる。その後、弥生時代中期になると、前漢や後漢で鋳造された漢鏡(星雲文鏡や内行花文鏡など)が北部九州を中心に大量に流入した。当時の中国において、銅鏡は自らの姿を映す化粧道具などの「実用品」であった。しかし、日本では太陽の光を眩く反射する性質から神霊の宿る依代(よりしろ)と見なされ、呪術的な力を持つ「祭祀具」として独自の受容を遂げた。
権力の象徴と「舶載鏡」の分配
弥生時代中期から後期にかけて、福岡県の三雲南小路遺跡(伊都国)や須玖岡本遺跡(奴国)に代表される有力首長層の墓に、多数の舶載鏡(はくさいきょう:中国から輸入された鏡)が副葬されるようになった。高度な鋳造技術を要する青銅器である銅鏡を多数所有することは、中国大陸の高度な文化や技術にアクセスできる外交ルートを持っていることの証明であった。したがって、銅鏡は豊作を祈る共同体の祭祀具としての役割だけでなく、クニの首長の権力を視覚的に誇示する政治的・威信財的な役割を帯びるようになった。
国内生産の開始と「倣製鏡」の登場
弥生時代後期になると、中国大陸の情勢不安などにより舶載鏡の入手が困難になったため、日本国内において中国製の鏡を模倣した倣製鏡(ほうせいきょう)の鋳造が開始された。初期の倣製鏡は小型のものが多く(小型倣製鏡)、その文様も中国の伝統的な宇宙観や神仙思想を離れ、日本独自の簡略化された幾何学文様へと変化していった。これは、銅鏡に対する価値観が、中国の思想体系に基づくものから、日本固有の呪術的・祭祀的なものへと土着化していった過程を示している。
邪馬台国と「三角縁神獣鏡」の謎
3世紀に入ると、銅鏡は初期ヤマト王権の政治システムにおいて極めて重要な役割を果たすようになる。『魏志倭人伝』には、景初3年(239年)に邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に遣使し、皇帝から「銅鏡百枚」を下賜されたことが記されている。この「銅鏡百枚」の正体については、古墳時代前期の古墳から特異的に出土し、縁が三角形状に盛り上がっている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)とする説が長年有力視されてきた。大和(畿内)を中心とするヤマト王権は、中国から入手した(あるいは国内で特別に鋳造させた)これら同型の銅鏡を地方の豪族に「分与」することで、首長層の序列化を図り、中央集権的な服属関係を構築していったと考えられている。
古墳時代の終焉と精神文化への定着
古墳時代前期にかけて、銅鏡は依然として被葬者の頭部や周辺に多数配置されるなど、魔除けや権威の象徴として重用された。奈良県の黒塚古墳からは33枚もの三角縁神獣鏡が出土し、当時の王権と祭祀の密接な関係を裏付けている。しかし、古墳時代中期以降に入ると、武力の象徴である鉄製武器や実用的な馬具が副葬品の主役となり、銅鏡が持つ政治的・威信財的な役割は次第に低下していった。とはいえ、鏡を神聖視する観念そのものは消滅せず、天皇の皇位継承の証である三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」に象徴されるように、後世の神道信仰や日本人の精神文化の根底に深く定着することとなった。
参考 BBC『100のモノが語る世界の歴史』で選ばれた日本の銅鏡
大英博物館の収蔵品から100のモノを選び、世界史を語ろうというラジオ番組が2010年にイギリスBBCで放送されました。大英博物館は世界中から奪ったあらゆるモノを収蔵しており、かの有名なロゼッタストーンやエジプトのミイラ、パルテノン神殿の彫刻など錚々たる品々が紹介されています。日本からは縄文土器、銅鏡、酒井田柿右衛門の象(陶器)、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』の4点が取り上げられていいます。銅鏡は58番目のモノです。
Japanese bronze mirror (BBCへのリンク。Audio transcript から本文が読めます。音声は消えているかも知れません(Downloadリンクは執筆時点では生きていたけど時間の問題かな)が以下のポッドキャストからも聞けるようです。リスニングの勉強にも良いかと思います。)
要約すると、
12世紀の平安時代に作られた青銅の鏡は、当時の貴族の洗練された美意識と、神仏への深い信仰を伝える歴史的遺産です。遣唐使の廃止以降、独自の文化が成熟した平安の都において、鏡は身だしなみの道具であると同時に、紫式部の『源氏物語』に描かれるように、恋人に思いを託すロマンチックな役割も担っていました。大英博物館にあるこの鏡の背面にも、長寿と夫婦の貞節を象徴する「松をくわえた二羽の鶴」が美しく描かれています。一方で、天照大御神の神話にも登場し、現在でも天皇の即位の儀式で用いられるように、鏡は霊的な存在や神々を映し出し、交信するための道具として特別な意味を持っていました。長らく出所が不明だったこの鏡も、近年の研究により、出羽三山の羽黒山(山形県)にある神聖な池の底から発見されたものだと判明しています。都の貴族が、自らの姿を映した高価な鏡を僧侶に託し、来世での救いや願いを込めて遠く離れた北の聖地へ奉納したのです。この小さな青銅鏡は、平安貴族の優雅な生活から水底への神秘的な奉納まで、古い日本の姿を現代の私たちに鮮やかに映し出しています。
プログラム冒頭部分で日本文化に詳しいイアン・ブルマという方が「美意識や芸術、そして『粋』や『たしなみ』に関心を持つ人々は、平安時代を、単に日本史においてだけでなく、人類の歴史においても偉大な文化の一つとして振り返っているのだと思います。」というようなことを言っておられます。平安時代の文化は世界史レベルに華やかだったんですね。