ヤマト政権

重要度
★★★

ヤマト政権

3世紀後半〜7世紀頃

【概説】
3世紀後半、近畿地方(大和)の有力勢力を中心に形成された、各地の豪族の連合による政治権力。古墳時代を通じて日本列島の広範な地域を支配下におさめ、のちの古代天皇制国家(律令国家)の母体となった。

ヤマト政権の成立と前方後円墳体制

ヤマト政権は、3世紀後半頃に大和(現在の奈良県)を中心とする近畿地方の有力な豪族たちが連合することで成立したと考えられている。この時期は、邪馬台国の卑弥呼が中国の魏に使いを送った時代から少し下った時期にあたるが、邪馬台国とヤマト政権が連続的なものであるか(畿内説)、あるいは別個の勢力であったか(九州説)については、現在も歴史学・考古学上の大きな論争となっている。

ヤマト政権の成立と拡大を象徴するのが、前方後円墳の波及である。3世紀後半から4世紀にかけて、畿内で発生した独特の墳墓形態である前方後円墳が、東北地方南部から九州地方南部に至るまでの広大な範囲に造営されるようになった。これは単なる文化の伝播ではなく、各地の首長が畿内のヤマト政権と政治的な同盟関係(あるいは服属関係)を結び、共通の葬送儀礼を採用した結果であると考えられている。このような、古墳の形態を通じた政治的ネットワークの広がりを「前方後円墳体制」と呼ぶ。

氏姓制度による豪族の連合支配

初期から中期のヤマト政権は、一人の絶対的な専制君主が支配する国家ではなく、大和周辺の有力な豪族(葛城、平群、巨勢、蘇我、大伴、物部など)による連合政権としての性格が強かった。この政権の頂点に君臨した首長は大王(おおきみ)と呼ばれたが、あくまで「豪族連合の盟主」としての地位であった。

この支配体制を支えたのが、5世紀後半以降に整備されたとされる氏姓制度(しせいせいど)である。ヤマト政権は、血縁や政治的関係によって結びついた集団を「氏(うじ)」として編成し、それぞれの氏に対して政権内での身分や職務を示す「姓(かばね)」(臣、連、伴造、国造など)を与えた。豪族たちはこの身分秩序に組み込まれることで、私有地である田荘(たどころ)や私有民である部曲(かきべ)の領有を大王から承認される一方、政権の官僚的・軍事的な役割を担うこととなった。

東アジア情勢と「倭の五王」の外交

4世紀後半以降、朝鮮半島では高句麗が南下政策をとり、百済や新羅と激しく対立するなど、東アジアの国際情勢は激動の時代を迎えていた。ヤマト政権(当時の中国や朝鮮半島からの呼称は「倭国」)も、武器や農具の材料となる鉄資源や先進技術の獲得を目指して朝鮮半島南部の加耶(任那)地域に進出し、高句麗軍と交戦したことが『高句麗好太王碑』の碑文に記録されている。

5世紀に入ると、ヤマト政権は自らの国際的地位を有利にし、朝鮮半島における政治的・軍事的な優位性を確保するため、中国の南朝(宋など)に度々朝貢を行った。中国の歴史書『宋書』倭国伝に記された讃・珍・済・興・武という5人の大王は倭の五王と呼ばれ、とくに「武(雄略天皇に比定される)」は、自らを「安東大将軍」に任命するよう宋の皇帝に求めている。また、この対外交流の活発化に伴い、朝鮮半島から多数の渡来人が日本列島へ移住した。彼らは漢字や儒教、須恵器の製法、機織り、さらには馬具の製作や治水灌漑などの先進的な文化・技術をもたらし、ヤマト政権の発展と国力の増強に極めて重要な役割を果たした。

大王権力の強化と律令国家への道

5世紀後半から6世紀にかけて、大王の権力は次第に専制的なものへと強化されていった。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣銘や、熊本県の江田船山古墳から出土した鉄刀銘には、ともに「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」(雄略天皇)の名が刻まれており、この時期には大王の権威が関東から九州に至る地方豪族にまで浸透していたことが伺える。

6世紀に入ると、ヤマト政権は直轄領である屯倉(みやけ)や直轄民である名代・子代を全国に設置し、地方支配をいっそう強固なものとした。527年には、新羅と結んでヤマト政権に反旗を翻した九州北部の豪族による磐井の乱が勃発するが、政権はこれを鎮圧し、地方の有力者を地方官である国造(くにのみやつこ)に任命して支配下に組み込む国造制の整備を進めた。

こうして大王への権力集中を進めたヤマト政権は、6世紀末以降の飛鳥時代に入ると、推古天皇や聖徳太子(厩戸王)による国政改革、そして7世紀半ばの大化の改新を経て、豪族の連合体から天皇を頂点とする中央集権的な律令国家へと劇的な変貌を遂げていくこととなるのである。

ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ

ヤマト王権の成立過程を考古学と文献史学の両面から解き明かし、古代日本の国家形成の謎に迫る緻密な歴史研究の書。

前方後円墳の時代 (岩波文庫 青 N 129-1)

巨大古墳が築造された時代の政治体制を多角的に考察し、社会の変容と首長たちの権力構造を鮮やかに浮き彫りにする一冊。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令において定められた五刑(むち打つ刑から死刑まで)を、軽い順から5つすべて漢字1文字ずつで答えよ。
Q. 推古天皇のもとで摂政となり、蘇我馬子と協力して天皇中心の中央集権国家の建設を目指した皇族は誰か?
Q. ヤマト政権の三蔵のうち、神事や祭祀に用いる品や神聖な宝物を収めていたとされる蔵は何か?