鉄鋼業
【概説】
大正時代、とりわけ第一次世界大戦期に急速な発展を遂げた重工業分野。海運・造船業の活況による鉄鋼需要の激増と、ヨーロッパ諸国からの輸入途絶を背景に、国内での生産能力が飛躍的に拡大した。日本の産業構造が軽工業中心から重化学工業へと転換していく契機となった重要な産業である。
第一次世界大戦と「鉄不足」の深刻化
1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦は、日本経済に未曾有の好景気(大戦景気)をもたらした。ヨーロッパの主戦場から遠く離れていた日本は、連合国からの軍需品の注文や、ヨーロッパ諸国が撤退したアジア市場への輸出拡大により、空前の輸出ブームを迎えた。これに伴い海運業が莫大な利益を上げ、それに牽引される形で造船業が急激に成長した。
船舶の建造には大量の鉄鋼が不可欠であったが、当時の日本は鉄鋼需要の過半をイギリスやドイツなどヨーロッパ諸国からの輸入に依存していた。しかし、大戦によってヨーロッパ諸国は自国の兵器生産に追われ、日本への鉄鋼輸出は事実上途絶してしまった。さらに1917年(大正6年)には、アメリカも自国の参戦に伴い鉄鋼の輸出禁止措置を発動したため、日本の産業界は深刻な極度の鉄不足に陥り、国内での鉄鋼生産能力の拡充が急務となった。
官営工場の拡張と民間資本の本格参入
この強烈な需要増と供給不足による価格の高騰を受け、国内の鉄鋼業は空前の活況を呈した。政府は、明治時代から日本の鉄鋼生産の大部分を担ってきた官営八幡製鉄所の拡張工事を急ピッチで進め、生産量の大幅な増大を図った。
同時に、莫大な利潤を見込んだ民間資本、とりわけ財閥が鉄鋼業へ本格的に参入し始めた。1912年(大正元年)設立の日本鋼管(浅野財閥系)が民間初の銑鋼一貫経営を目指して台頭したほか、三菱財閥は朝鮮に兼二浦製鉄所(三菱製鉄)を建設した。また、三井財閥系の日本製鋼所や釜石鉱山田中製鉄所の設備拡張も行われ、南満州鉄道株式会社(満鉄)による鞍山製鉄所も設立された。これにより、それまで官営八幡製鉄所がほぼ独占していた日本の鉄鋼業において、民間企業の比重が急速に高まっていった。
日本経済における歴史的意義とその後の展開
大正期の鉄鋼業の飛躍的な拡大は、明治期の綿紡績業や製糸業を中心とする軽工業主体の産業革命から、鉄鋼業・造船業・機械工業などを中心とする「重化学工業化」へと、日本の産業構造が高度化していく上で極めて重要な画期となった。大戦景気を通じて、日本は工業生産額が農業生産額を上回る工業国へと変貌を遂げたのである。
しかし、1918年(大正7年)の第一次世界大戦終結後、ヨーロッパ諸国が生産や輸出を再開すると、日本の鉄鋼業は安価な輸入鉄鋼との厳しい国際競争に直面することになる。1920年(大正9年)の戦後恐慌によって多くの民間鉄鋼企業が経営難に陥り、政府の保護政策の要請やカルテルの結成を余儀なくされた。この慢性的な不況と国際競争力の弱さが、のちの昭和初期における日本製鐵株式会社(1934年)設立という、国家による巨大トラストの形成と本格的な国家統制へとつながっていく要因となった。