荒木貞夫

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
荒木貞夫(Wikipedia)

荒木貞夫 (あらきさだお)

1877年〜1966年

【概説】
昭和初期の陸軍大将、政治家。陸軍内の急進派(皇道派)のカリスマ的指導者であり、十月事件においてクーデター勢力から新内閣の首相候補に擁立された人物。

十月事件と荒木貞夫の擁立計画

1931年(昭和6年)10月、陸軍の秘密結社「桜会」の橋本欣五郎らが、国家改造を企てて計画したクーデター未遂事件が十月事件(錦旗革命事件)である。この計画において、急進的な青年将校らから圧倒的な支持を集めていた荒木貞夫は、クーデター成功後の新政権における首相(首班)として擁立される予定であった。計画は事前に発覚して未遂に終わったものの、荒木は処罰されることなく、同年末に発足した犬養毅内閣の陸軍大臣に就任し、軍部における発言力を急速に高めていった。

皇道派の台頭とその後への影響

陸相に就任した荒木は、真崎甚三郎らとともに陸軍内の人事掌握を進め、天皇親政と精神主義を重んじる皇道派の領袖として台頭した。荒木は熱狂的な精神論(皇道精神)を説き、青年将校たちの信望を集めたが、これが陸軍内の組織近代化や総力戦体制化を重視する統制派との深刻な対立を生む原因となった。のちに皇道派の過激化は1936年の二・二六事件へと繋がり、事件後に荒木自身も予備役に退くなど、昭和戦前期の軍国主義化の大きなうねりの中で決定的な役割を果たした。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:44

日本史一問一答(ランダム)

Q. 大正時代から美濃部達吉の天皇機関説と論争を繰り広げ、絶対的な天皇主権説を主張した保守派の憲法学者は誰か?
Q. 「いざ鎌倉」という言葉に象徴されるように、戦時に御家人が自費で武装し、軍勢を率いて将軍のために戦う義務を何というか?
Q. 政治犯釈放などによって合法政党として公然と活動を開始し、徳田球一らが再建した政党は何か?