十月事件

1931年10月、三月事件に失敗した桜会の将校らが、今度は荒木貞夫を首班とする政権樹立を計画したが、未然に発覚し検挙された事件を何というか?
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重要度
★★

【参考リンク】
十月事件(Wikipedia)

十月事件

1931年

【概説】
1931年10月、陸軍内の急進派青年将校組織「桜会」が計画した軍事クーデター未遂事件。同年に起きた「三月事件」の失敗を経て再計画されたもので、若槻礼次郎内閣を打倒し、荒木貞夫中将を首班とする軍部独裁政権の樹立を目指した。しかし、実行直前に計画が露見し、関係者が検挙されたことで未遂に終わった。

桜会の結成と「三月事件」の挫折

世界恐慌の影響による昭和恐慌の到来や、ロンドン海軍軍縮条約の締結をめぐる統帥権干犯問題などにより、昭和初期の日本社会は深刻な閉塞感に包まれていた。こうした中、陸軍内部では既成政党や財閥への不満が急速に高まり、国家の抜本的な改造(軍部主導のファシズム化)を求める動きが活発化した。

1930年、参謀本部の橋本欣五郎中佐らを中心に、陸軍の中堅・幕僚将校による秘密結社「桜会」が結成された。桜会は民間右翼の大川周明らと手を結び、1931年3月に当時の宇垣一成陸相を首班とするクーデター(三月事件)を計画したが、宇垣自身が乗り気でなかったことなどから直前で頓挫していた。

満州事変の勃発と「十月事件」の過激な計画

1931年9月18日、関東軍の謀略によって満州事変が勃発すると、国内では国際連盟の出方や政党内閣の軟弱な外交姿勢に対する反発が強まり、一気にナショナリズムが沸騰した。この機に乗じて、橋本欣五郎ら桜会の急進派は再び政権転覆計画を立案した。

計画は三月事件に比べて極めて過激なものであった。首相官邸、警視庁、政友会・民政党の党本部などを爆破・襲撃し、若槻首相をはじめとする閣僚を一斉に暗殺した上で、東京全域に戒厳令を敷き、陸軍革新派のシンボル的存在であった荒木貞夫陸軍中将を首相に擁立して軍部独裁政権を樹立することを目論んだ。

計画の露見と処分、そしてその後の歴史的影響

しかし、あまりにも過激な計画に対して陸軍首脳部は冷淡であり、また計画の一部が事前に漏洩したため、実行直前の10月16日に憲兵隊によって橋本中佐らが一斉に検挙され、クーデターは未遂に終わった。

事件後、陸軍は軍の対外的な信用失墜や満州事変への悪影響を恐れ、この事件を闇に葬った。首謀者である橋本らへの処分は、わずかに「謹慎二十日」や地方への転任といった極めて寛大なものに留まった。この陸軍首脳部の甘い対応が、かえって「国家改造のためであればテロやクーデターも許される」という風潮を軍内に定着させることとなり、翌1932年の五・一五事件、さらには1936年の二・二六事件へと至る、軍部の暴走と昭和超国家主義(ファシズム)の台頭を決定づけることとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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