帝紀

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】

帝紀 (ていき)

6世紀半ば頃

【概説】
大王(おおきみ)家、すなわちのちの天皇家の系譜や皇位継承の歴史を記録したとされる古代の史料。6世紀中頃の欽明天皇の時代に編纂されたと推定され、のちの『古事記』や『日本書紀』の直接的な原典となった。

帝紀の成立背景と欽明朝における編纂

5世紀から6世紀にかけて、ヤマト政権は国内の支配力を強め、政治的な統合を進めていった。このような状況下で、大王家による統治の正統性を対内外的に示すため、王権の歴史を文字(漢字)によって記録する必要性が生じた。一般的には、第29代欽明天皇の朝廷(6世紀半ば)において、大王の系譜や皇位継承の系譜を記した『帝紀』(別名:帝皇日代、先帝の紀など)と、宮廷に伝わる神話・伝説・歌謡などをまとめた『旧辞(きゅうじ)』が、国家的な事業として整理・編纂されたと考えられている。

『記紀』への継承と歴史的意義

『帝紀』そのものはのちの戦乱等で失われ、現存していない。しかし、7世紀後半に即位した天武天皇は、諸家に伝わる「帝紀」と「旧辞」に虚偽や誤りが増えていることを憂慮し、稗田阿礼(ひえだのあれ)にその内容を誦習(暗記)させた。これがのちに太安万侶(おおのやすまろ)によって筆録され、712年に『古事記』として結実する。さらに、720年に完成した日本最初の勅撰正史である『日本書紀』の編纂においても、『帝紀』は最重要の根本史料として活用された。つまり、『帝紀』は日本の国家形成期において、大王を中心とする支配体制の歴史的正統性を担保するための、歴史叙述の原点というべき極めて重要な役割を果たしたのである。

最終更新:
2026年6月13日 @ 06:43

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