漢字

重要度
★★★

漢字

【概説】
中国大陸で成立し、朝鮮半島を経由して日本列島へと伝来した文字体系。古墳時代において、渡来人を通じてヤマト政権の公的な記録や外交文書に用いられるようになり、日本における文字文化と国家形成の基盤となった。

日本列島への伝来と初期の接触

日本列島において漢字が初めて確認されるのは弥生時代である。福岡県の志賀島で発見された1世紀の「漢委奴国王」の金印や、中国から流入した貨泉(銅銭)、各種の銅鏡に刻まれた銘文などがその代表例である。しかし、当時の日本列島の人々にとって、これらは意味を持つ「文字」として読解されていたというよりは、中国王朝の強大な権威を示す呪術的な「文様」や「デザイン」として受容されていたと考えられている。

渡来人の活躍とヤマト政権による実用化

漢字が実用的な記録媒体として本格的に定着し始めるのは、4世紀後半から5世紀にかけての古墳時代である。この時期、朝鮮半島の動乱を避けて多くの渡来人が日本列島へ移住してきた。『古事記』や『日本書紀』には、百済から『論語』や『千字文』をもたらしたとされる西文氏の祖・王仁(わに)や、東漢氏の祖・阿知使主(あちのおみ)らの伝承が記されている。彼ら渡来人やその子孫は、ヤマト政権のもとで史部(ふひとべ)という書記官の職能集団として組織され、公的な記録や出納帳の作成、外交文書の起草など、国家運営に不可欠な実務を担うようになった。

倭の五王の外交と漢文の習熟

5世紀におけるヤマト政権の外交活動は、漢字の習熟を大いに促進した。いわゆる倭の五王は、朝鮮半島における政治的優位性を求めて中国の南朝(宋など)に度々使いを送った。特に478年に倭王武が宋の順帝に奉った上表文は、『宋書』倭国伝に収録されている。この上表文は、四六駢儷体(しろくべんれいたい)と呼ばれる当時の中国の格式高い文体で書かれており、ヤマト政権の中枢に、中国の古典的教養や高度な漢文構成能力を持つ渡来人系の知識人が存在していたことを如実に示している。

金石文と日本固有の表記法の萌芽

5世紀後半から6世紀にかけて作られた金属器や石碑に刻まれた文字(金石文)からは、漢字がヤマト政権の地方支配にも浸透していった様子がうかがえる。埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣や、熊本県の江田船山古墳出土鉄刀に刻まれた銘文には、「獲加多支鹵(ワカタケル)」大王(雄略天皇に比定される)の名が記されており、ヤマト政権の権力が関東から九州にまで及んでいたことを示している。

歴史的にさらに重要なのは、これらの銘文において、日本の固有名詞(人名や地名)を表記するために、漢字の意味を捨てて発音のみを借りる音仮名(おんがな)の手法が用いられている点である。これは中国語の文法に従う「漢文」から一歩踏み出し、日本語の音韻を漢字で書き表そうとする画期的な試みであった。この手法は後に万葉仮名へと発展し、さらには平安時代における平仮名・片仮名の誕生へと繋がっていく。したがって、古墳時代における漢字の受容と運用は、日本の文字文化の原点にして最大の転換点であったと言える。

古代文字練習帳

古代の叡智をなぞり心安らぐひとときを過ごす、文字と歴史の深淵に触れる体験型の入門書。

詳説日本史図録

教科書『詳説日本史』の内容を、豊富な写真や図解、地図でビジュアル化した超定番の図録。文字だけでは理解しにくい歴史の流れや文化財のディテールが視覚的に頭に入る。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 天武・持統天皇の時代に宮廷歌人として活躍し、天皇や皇族を賛美する長大な歌を詠んで「歌聖」と称された人物は誰か?
Q. 飛鳥時代前期に在位し、その時代に疫病が流行したため、物部守屋らが仏教信仰を禁じて仏像を廃棄する事件が起きた天皇は誰か?
Q. 縄文時代の屈葬に対して、弥生時代以降に主流となった、死者の手足を真っ直ぐに伸ばして葬る方法を何というか?