論語
【概説】
中国古代の思想家・孔子とその弟子たちの言行を記録した、儒教の最も基本的な経典。古代日本においては、百済からの渡来人である王仁によってもたらされたと伝えられ、その後の日本の政治思想や道徳観の形成に決定的な影響を与えた思想書である。
王仁伝承と日本への『論語』伝来
『古事記』や『日本書紀』の記述によると、応神天皇の時代(5世紀頃とされる)に、百済から派遣された渡来人の王仁(わに)が、『論語』10巻と『千字文(せんじもん)』1巻を携えて来日したとされる。これが日本における漢字および儒教(学問)の伝来を示す最古の記録である。千字文の成立年代との矛盾などから、伝承の細部には歴史的疑問が呈されているものの、5世紀段階で朝鮮半島を経由して漢字の読み書きや儒教的教養を持つ渡来人が倭国(日本)に渡来し、大王(天皇)家や有力氏族に仕えるようになった史実を反映していると考えられている。
古代国家の形成と儒教思想の役割
『論語』に代表される儒教思想は、古代日本の国家体制構築に深く関与した。特に飛鳥時代の聖徳太子(厩戸皇子)が制定した冠位十二階(徳・仁・礼・信・義・智の儒教的徳目を冠の名称に採用)や、憲法十七条には『論語』などの儒教経典から得た「礼」や「忠」の概念が強く反映されている。儒教の「君は君たらんとし、臣は臣たらんとする」という階級的・秩序的道徳観は、天皇を中心とする中央集権国家(律令国家)を組織・維持する上で、極めて都合の良い政治哲学であった。
律令制下の教育と後世への影響
奈良時代に律令制が確立すると、官僚養成機関である大学や国学において、『論語』は最も重要な教科書(経典)の一つとして位置づけられた。これを研究する学問は「明経道(みょうぎょうどう)」と呼ばれ、知識階級(貴族や官僚)の必須の教養となった。その後、中世の禅宗寺院における儒学研究(五山文学)を経て、江戸時代には徳川幕府の正学となった朱子学の基盤として、武士から庶民に至るまでの道徳規範として定着していくことになる。