旧辞 (きゅうじ)
6世紀中頃
【概説】
古代の大和朝廷に伝わる神話や伝説、歌謡などを文字で記録した史料。天皇の系譜を記した『帝紀』とともに、のちの『古事記』や『日本書紀』の編纂における直接的な基礎史料となった。口承されてきた古代の伝承を成文化したものであり、初期国家の形成過程を反映している。
帝紀と旧辞の成立と王権の確立
『旧辞』の具体的な成立時期や編纂者は明らかではないが、一般には6世紀半ばの欽明天皇の朝廷において、皇位継承の正統性を示すために『帝紀』とともに編纂されたとする説が有力である。この時期の大和朝廷は、氏姓制度の再編や地方支配の強化を進めており、王権の歴史的・宗教的な権威づけが必要とされていた。それまで宮廷の「語り部(かたりべ)」などによって口頭で語り継がれてきた、王権誕生にまつわる神話や各氏族の出自に関わる伝承、宮廷儀礼用の歌謡などが、漢字の受容と普及に伴って文字として書き留められたと考えられている。
記紀編纂への継承と歴史的意義
7世紀後半、壬申の乱を経て実権を握った天武天皇は、中央集権国家(律令国家)の形成を推進するにあたり、国家の正史を構築するために『帝紀』と『旧辞』の改訂を命じた。天皇は記憶力に優れた稗田阿礼にこれらの史料を読み習わせ(誦習)、その記憶をもとにのちに太安万侶が筆録したものが『古事記』である。また、第一の正史として編纂された『日本書紀』にも、『旧辞』の内容は豊富に引用・統合された。天皇の系譜を中心とする『帝紀』に対し、『旧辞』は古代日本人の世界観、信仰、豊かな文学性を今日に伝える上で極めて重要な史料である。