稗田阿礼 (ひえだのあれ)
【概説】
飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した宮廷の舎人。天武天皇に並外れた記憶力を買われ、神代からの伝承や皇統の系譜を暗誦し、日本最古の歴史書『古事記』の基礎を築いた人物である。
天武天皇の勅命と歴史編纂の背景
壬申の乱(672年)を経て即位した天武天皇は、天皇を中心とする強力な中央集権国家の建設を目指した。その一環として、王権の正統性を内外に示し、諸氏族を序列化するために、正確な歴史書の編纂が必要とされた。当時、諸家が所持していた『帝紀』(皇統の系譜)や『旧辞』(神話や伝承)には虚偽や誤りが多く含まれているとされ、天武天皇はこれらを正して後世に伝えるよう命じた。
この大事業において白羽の矢が立ったのが、当時28歳であった稗田阿礼である。『古事記』の序文によれば、阿礼は「聡明にして、目に見るものは口に誦(よ)み、耳に聞くものは心に記す」と称されるほどの卓越した記憶力の持ち主であった。阿礼は天武天皇の命令を受け、散逸・混乱しつつあった伝承を一つひとつ整理し、記憶に定着させる「誦習(しょうしゅう)」の作業に当たった。
稗田阿礼の素性と「性別論争」
稗田阿礼の素性については、現存する史料が極めて少ないため、古くから多くの議論が存在する。その一つが、阿礼の性別をめぐる論争である。『古事記』序文には「舎人(とねり)」と記されていることから、一般的には男性とみなされることが多い。舎人は天皇の身の回りの世話や警護を行う下級官人であり、当時の官制では基本的に男性が務める職であったからである。
しかし一方で、稗田氏が天岩戸伝説で知られるアメノウズメ(天宇受売命)を祖とする猿女君(さるめのきみ)の一族であることから、女性説も強く支持されている。猿女君は古代から朝廷の祭祀において神楽や神がかり(託宣)を担った巫女的な一族であり、口承伝承を司る「語り部(かたりべ)」としての性格が強かった。柳田國男や折口信夫などの民俗学者は、神話や歌謡を記憶し語り継ぐ役割は女性(巫女)のものであったとし、稗田阿礼を女性とする説を唱えた。この謎は現在も決着を見ていない。
『古事記』の編纂再開と阿礼の歴史的意義
天武天皇の崩御によって編纂事業は一時中断されたが、その志は元文明皇へと引き継がれた。元明天皇は和銅4年(711年)、太朝臣安萬侶(太安万侶)に対して、稗田阿礼が誦習した内容を記述・記録するよう命じた。安万侶は、阿礼が語る独特の日本語の響き(大和言葉)を、漢字の音や訓を巧妙に組み合わせた特殊な文体を用いて木簡や紙に書き起こし、翌和銅5年(712年)に『古事記』として完成させた。
稗田阿礼が果たした役割は、文字による記録(書記)が普及する以前の「口承(語り)」の世界から、国家の公式な歴史書という「記載」の世界への橋渡しをした点にある。阿礼の驚異的な記憶力がなければ、日本の古代神話や初期の皇統にまつわる歌謡・伝説は、歴史の闇に消え去っていた可能性が高い。国家の骨格を形作る文学・歴史学の成立において、稗田阿礼は不滅の足跡を遺したと言える。