日本書紀
【概説】
720年に成立した、神代から持統天皇の時代までを中国の正史にならった漢文の編年体で記した日本初の正史。舎人親王らが中心となって編纂し、国家の成り立ちや天皇の統治の正統性を国内外に示す目的で作られた。日本の古代史研究における根本史料であり、後世に続く「六国史」の第一作目にあたる。
編纂の背景と国家の自立
『日本書紀』の編纂事業は、7世紀後半の天武天皇の発意によって開始された。当時の日本は、663年の白村江の戦いでの敗戦を経て、唐や新羅といった東アジアの強国に対する強烈な危機感を抱いていた。そのため、急ピッチで律令制の導入を進めるとともに、独立国家「日本」としての体裁を整える必要に迫られていた。
また、壬申の乱を勝ち抜いて即位した天武天皇にとって、自らの皇統の正統性を歴史的に基礎づけることは急務であった。こうした対外的な独立性の誇示と、対内的な天皇支配の正当化という二つの要請から、国家の公式な歴史書である「正史」の編纂が求められたのである。
構成と記述の特徴
国家事業として進められた編纂は、720年(養老4年)に舎人親王(とねりしんのう)らが元正天皇に奏上したことで完成を見た。全30巻および系図1巻(系図は現在散逸)からなり、巻1・巻2を神代とし、巻3の神武天皇から巻30の持統天皇までを歴代天皇の代ごとにまとめている。
記述の形式は、中国の歴史書(『漢書』など)にならった漢文であり、出来事を年月日の順に記す編年体が採用された。また、ひとつの出来事に対して「一書に曰く(ある書物によれば)」として複数の異伝を併記する手法がとられており、客観性や権威性を重んじる中国正史の体裁を強く意識した作りとなっている。
『古事記』との対比と対外的な意義
『日本書紀』に先立つ712年に成立した『古事記』が、国内向けの神話や天皇の系譜を中心とし、和習(日本的な要素)を交えた変体漢文で物語風に記されているのに対し、『日本書紀』は明らかに対外的な意識を持って編纂されている。
中国の王朝や朝鮮半島の諸国からの使節が日本を訪れた際、国家としての由緒を堂々と示す「公式文書」の役割を担っていたため、当時の東アジアにおける国際的な教養語である正統な漢文が用いられた。文章中には中国の古典や思想からの引用も随所に散りばめられており、高い文化水準をアピールする意図がうかがえる。
史料としての価値と課題
日本の古代史、特に飛鳥時代から奈良時代初頭にかけての政治過程を知る上で、『日本書紀』はかけがえのない第一級の根本史料である。さらに、『百済本記』などの現在では散逸してしまった朝鮮半島の史料を多数引用しているため、古代の東アジア史の観点からも極めて重要視されている。
一方で、国家の公式見解をまとめたものであるため、皇室や当時の権力者にとって都合の良い潤色や改変が含まれている点には注意が必要である。例えば、初代・神武天皇の即位年を紀元前660年としているのは、中国の「辛酉革命説」に基づいて建国年代を古く見せるための作為であると考えられている。したがって現代の歴史学においては、考古学の成果や木簡、中国・朝鮮の史料などと照らし合わせる史料批判を厳密に行いながら活用することが不可欠となっている。
国家事業「六国史」の端緒として
『日本書紀』の成立は、日本における国家正史編纂の輝かしい第一歩となった。これ以降、平安時代前期にかけて、『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』と続く六国史(りっこくし)が編纂されることとなる。律令国家が機能していた時代において、自らの歴史を文字として記録し続けることは、文明国としての証であり、国家統治の根幹をなす重要な事業であったと言える。