里長(郷長) (りちょう(ごうちょう)
【概説】
古代日本における律令制下で、地方行政の末端単位である「里(のちに郷)」に置かれた首長。地域の有力な農民(百姓)の中から選ばれ、国司や郡司の指揮のもとで行財政の実務を担った。戸籍・計帳の作成補助や租税の徴収督促など、律令国家の民衆支配を最前線で支える役割を果たした。
「国・郡・里」制から「郷里制」への変遷
大化の改新から大宝律令の制定(701年)へと至る過渡期において、律令国家は地方行政区画として国・郡・里の三段階の制(国郡里制)を整えた。このうち最末端の行政単位が「里(り)」であり、戸籍上の「戸」を50戸集めて1里とすることが原則とされ、その長として里長が置かれた。
その後、霊亀元年(715年)には、それまでの「里」を「郷」と改め、さらに郷の下に50戸ずつからなる「里」を再編する郷里制(1郷=3里、1里=50戸)が導入された。これに伴い、従来の里長は郷長(ごうちょう)へと改称され、新たに再編された里には里正(りせい)が置かれた。しかし、この郷里制は行政実務上煩雑であったため、天平宝字年間(8世紀半ば)には下の里が廃止されて「郷制」となり、末端の行政単位は「郷」、その長は「郷長」に一本化されることとなった。
里長(郷長)の職務と任用条件
里長(郷長)は、郡司の推薦に基づき、国司によって任命された。その選定対象となったのは、郡内の一般百姓(白丁)の中でも「有能徳望の士」、すなわち地域社会において実力と信望を兼ね備えた富豪層(在地有力者)であった。彼らには、職務の代償として兵役や雑徭(雑多な労役)などの課役が免除される特権が与えられた。
その職務は極めて多岐にわたり、国家が人民を支配する上での根幹に関わるものばかりであった。主な任務としては、税の基本台帳となる戸籍・計帳の作成補助、班田収授法に基づく田地の分配や回収の補助、農業を督励する「勧農」、租税(租・調・庸や公出挙)の徴収と督促、さらには治安維持のための不審者の取り締まり(検邪)や労役者の動員などが挙げられる。彼らは文字通り、国家の命令を民衆に浸透させるための最前線の実務家であった。
律令支配における歴史的意義
里長(郷長)の歴史的意義は、中央集権を目指す律令国家と、個々の農民(公民)を繋ぐ「結節点」として機能した点にある。郡司がかつての国造(くにのみやつこ)などの伝統的豪族の流れを汲む支配層であったのに対し、里長(郷長)は民衆と同じ「百姓(ひゃくせい)」の身分から選ばれた。
国家が個別の人民から確実に税を徴収し、労働力を徴発するためには、地域社会の内部事情に通じた実務者の存在が不可欠であった。里長(郷長)は、地域社会の秩序を維持する「村落の首長」としての性格を持ちながら、同時に律令官僚機構の末端を担う「行政官」としての二面性を持っていた。これにより、律令国家は個々の民衆にまで支配の網の目を巡らせることが可能となったのである。