三経義疏

高校日本史的重要度
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疏

「疏」の書き方

三経義疏 (さんぎょうぎしょ)

7世紀初頭

【概説】
飛鳥時代に聖徳太子(厩戸王)が著したと伝えられる、『法華経』『維摩経』『勝鬘経』の3つの仏教経典の注釈書。日本最古の仏典注釈書であり、初期の仏教受容のあり方を示す一級の思想史料である。

在家の実践を重視する選定背景

三経義疏は、『法華経義疏』(4巻、伝615年)、『維摩経義疏』(3巻、伝613年)、『勝鬘経義疏』(1巻、伝611年)の3つの大乗仏典の注釈書からなる。これらは、当時の中国(南北朝から隋・唐期)で広く重んじられていた経典である。

特に『維摩経』は在家の知識人である維摩詰を、『勝鬘経』は在家の女性王族である勝鬘夫人を主役とし、それぞれの仏教理解を説く経典である。出家主義に限定されない「在家信者による仏教実践」を肯定する内容の経典が選ばれている背景には、中央集権国家の建設を目指した聖徳太子や推古天皇が、政治的・指導者的立場(在家)のまま仏教を国家統治の思想的支柱として取り入れようとした意図が強く反映されていると考えられている。

太子親撰説と中国成立説をめぐる論争

宮内庁が所蔵する『法華経義疏』の草稿(国宝)は、聖徳太子の直筆と伝えられ、紙背文書の分析や訂正箇所の多さから日本国内で推敲・執筆された日本最古の文献資料とされてきた。しかし、近年の歴史学・仏教学の研究では、当時の中国(南北朝時代や隋代)の注釈書(類書)との高度な類似性が指摘されており、中国で作成されたテキストが倭国に輸入されたとする「中国成立説」や、来日した渡来僧(慧慈など)の関与のもとでの「共同編纂説」などが有力視されている。

成立をめぐる議論は現在も続いているが、いずれにせよ7世紀初頭の日本において、これほど高度な大乗仏教の教理が受容され、国家形成期の思想的規範として活用されていた事実を示す重要史料であることに変わりはない。

最終更新:
2026年6月18日 @ 23:17

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