法華経 (ほけきょう)
伝来:6世紀頃
【概説】
大乗仏教の代表的な経典の一つであり、すべての人が平等に成仏できると説く聖典。日本には飛鳥時代までに伝来し、奈良時代には国家の安寧を祈る「護国三部経」の一つとして、国分尼寺に安置・読誦された。
聖徳太子の受容と日本仏教における位置づけ
『法華経』(妙法蓮華経)は、紀元前後にインドで成立したとされる大乗仏教の経典である。日本には6世紀の仏教伝来とともに伝わったと考えられており、初期の日本仏教において極めて重視された。その代表例が、飛鳥時代の聖徳太子による受容である。太子は仏教の真理を深く理解するため、3つの経典の注釈書である『三経義疏』を著したと伝えられているが、その中に『法華義疏』が含まれている。太子は、誰もが等しく救われるという『法華経』の一乗思想(すべての人が仏になれるという教え)を、中央集権的な国家建設の精神的支柱として見出したとされる。
鎮護国家思想と「法華滅罪之寺」
奈良時代に入ると、仏教の力で国家の災いを除き、平穏をもたらそうとする鎮護国家の思想が急速に広まった。聖武天皇は、相次ぐ疫病や政情不安を背景に、741年(天平13年)に国分寺・国分尼寺建立の詔を発した。この時、全国の国分寺(金光明最勝王護国之寺)には『金光明最勝王経』が、国分尼寺(法華滅罪之寺)には『法華経』がそれぞれ安置された。国分尼寺において『法華経』が読誦されたのは、その経典が持つ罪を滅する功徳(滅罪)が、国家や個人の罪障を消滅させるために不可欠と考えられたからである。このように、『法華経』は『金光明最勝王経』や『仁王経』とともに護国三部経の一角を担い、律令国家体制を支える宗教的象徴として機能した。