横浜正金銀行

1880年に設立され、貿易金融や外国為替の業務を専門に行った政府の特権銀行は何か?
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重要度
★★

横浜正金銀行 (よこはましょうきんぎんこう)

1880〜1946年

【概説】
明治初期に設立された、わが国初の外国為替および貿易金融の専門銀行。不平等条約下で外国人商館に握られていた貿易金融の実権を奪還することを目指し、のちに特殊銀行として政府や日本銀行の手厚い保護のもとで日本の資本主義発達を金融面から支えた。

設立の背景と「正金」確保の目的

明治維新期の日本は、欧米列強との不平等条約のもとで対外貿易を開始した。しかし、当時の貿易金融や外国為替業務は、横浜などの居留地に拠点を置く外国人商館や外国系銀行にほぼ独占されており、日本人商人は極めて不利な取引条件を強いられていた。また、国内では西南戦争に伴う不換紙幣の乱発によって激しいインフレが発生し、紙幣価値が急落して金貨・銀貨(これらを「正金」と呼んだ)が海外へ大量に流出する危機的状況にあった。

こうした状況を打破するため、大蔵卿・大隈重信らの後援のもと、中村道太ら民間の提唱によって1880(明治13)年に設立されたのが横浜正金銀行である。設立の主たる目的は、海外貿易における決済を円滑にし、不換紙幣ではなく「正金」による決済を促進することで、外貨の安定的確保と為替相場の安定を図ることにあった。

特殊銀行への改組と国家支援による発展

設立当初は紙幣価値の乱高下や銀相場の下落に悩まされ、経営は一時極めて悪化したが、大蔵大臣・松方正義によるデフレ政策(松方財政)の本格化とともに再建が進められた。1887(明治20)年には「横浜正金銀行条例」が制定され、同行は政府の指導・監督を受ける半官半民の特殊銀行(特権銀行)へと改組された。

これにより、日本銀行から低利の外国為替資金の供給(割引便益)を受けるなど、国家的な保護体制が確立した。横浜正金銀行は、日本の主要輸出品であった生糸や茶の輸出金融、さらには日清戦争後に発展した綿紡績業のための原綿輸入金融を担い、日本の産業革命をファイナンスの側面から強力に牽引することとなった。ロンドンやニューヨークをはじめとする世界の主要都市に支店網を広げ、国際的な為替銀行としての地位を不動のものにした。

帝国の拡大と多角的役割、そして終焉

日露戦争以降、日本の帝国主義的な海外進出が本格化すると、横浜正金銀行の役割は単なる商業貿易金融にとどまらなくなった。韓国や中国(清国)、満州(中国東北部)へ進出し、現地での政府公債の引き受けや、軍費の調達、さらには独自の銀行券(兌換銀券)の発行など、実質的な準中央銀行としての機能を果たすようになった。

昭和期に入り、太平洋戦争が勃発すると、軍部主導の戦時金融体制に組み込まれ、占領地における軍票の発行や南方開発金庫の業務代理など、国策遂行の最前線に立たされた。しかし、1945(昭和20)年の敗戦により、その特殊な歴史的役割は終焉を迎える。連合国軍総司令部(GHQ)によって「閉鎖機関」に指定されて解体され、その国内資産や健全な業務を受け継ぐ形で、後身の普通銀行である東京銀行(現・三菱UFJ銀行)が設立され、戦後の外国為替専門銀行としての歩みをスタートさせることとなった。

横浜正金銀行の研究: 外国為替銀行の経営組織構築

明治期の経営組織構築を詳細に分析し、日本の近代金融史における外国為替銀行の礎と実態を解明する専門的な研究書。

横浜正金銀行の歴史理論: 日本資本主義と横浜正金銀行の対外業務

日本資本主義の発展と密接に関わる対外業務の変遷を辿り、歴史理論の視点から横浜正金銀行の特異性を考察した一冊。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 商場知行制に代わり、松前藩や家臣が和人の商人に商場の交易権を委託し、運上金を納めさせた制度を何と呼ぶか。
Q. 天皇の御所に灯油などを納入する代わりに特権を与えられ、荏胡麻油の製造や販売などに関わった人々を何というか?
Q. 官営鉱山として近代化されたのち、古河市兵衛に払い下げられた秋田県の銅山はどこか?