ヤツコ(奴婢)

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】

ヤツコ(奴婢) (ぬひ)

【概説】
古代日本における最下層の隷属民。古墳時代から見られ、豪族や大王などの権力者に私有財産として支配され、売買や譲渡、相続の対象となった人々である。

古墳時代の社会構造とヤツコの実態

古墳時代の日本社会は、氏姓制度や部民(べみん)制を基礎として成り立っていた。特定の職能を奉仕する部民が家族単位での生活や一定の自立性を認められていたのに対し、ヤツコ(奴・奴婢)は人格を認められない完全な私有民として位置づけられていた。彼らは豪族の居館(主家)において家内雑役や農耕、土木作業などの労働に従事させられ、財産として扱われた。ヤツコの供給源としては、地域の豪族間抗争や朝鮮半島などにおける対外戦争での捕虜、貧困や債務による没落、犯罪の刑罰として身分を落とされた者などが主であったと考えられている。

律令制への移行と「奴婢」への法文化

7世紀後半から8世紀にかけて律令体制が整備されると、それまでのヤツコは「良賤(りょうせん)の法」に基づく身分制度の中に「奴婢」として組み込まれた。奴婢は賤民(せんみん)身分の最下層である「五色の賤(ごしきのせん)」に分類され、政府に帰属する「官奴婢」と、貴族・寺社・豪族などに帰属する「私奴婢」に分けられた。良民との通婚は制限され、売買や相続の対象であり続けたが、律令国家による人民把握の必要性から戸籍にも登録され、良民の3分の1にあたる面積の口分田(くぶんでん)が班給されるなど、一定の法的枠組みの中に置かれた。この奴婢制度は、平安時代中期に律令制が弛緩し、戸籍制度が崩壊する中で自然消滅の道をたどることとなった。

最終更新:
2026年6月18日 @ 16:56

日本史一問一答(ランダム)

Q. 幕府と朝廷の連絡役を務め、朝廷の意向の伝達などを行った公家の役職は何か。
Q. 日米修好通商条約の交渉などでハリスの通訳として活躍したが、1860年に江戸の三田で尊王攘夷派に暗殺された人物は誰か?
Q. 桓武天皇の時代の国家財政を圧迫した2大事業である、「蝦夷の平定」と「新都の建設」をまとめて当時の言葉で何と呼んだか?