戸籍

重要度
★★

戸籍 (こせき)

670年〜

【概説】
律令国家が人民を強固に掌握し、班田収授や租税徴収、兵役の課税基準とするために作成した基本台帳。飛鳥時代の天智天皇期に日本初の全国的な戸籍が作られて以来、中央集権的な律令体制を支える根幹の制度として機能した。

戸籍の誕生と整備――庚午年籍から庚寅年籍へ

大化の改新(645年)によって掲げられた「公地公民制」を実現するためには、国家が直接人民の数や家族構成を把握することが不可欠であった。そこで天智天皇の9年(670年)、日本初の本格的な全国籍として庚午年籍(こうごねんじゃく)が作成された。この庚午年籍は、人民の把握だけでなく氏姓(うじかばね)を確定させる基本台帳としての性質も持っていたため、紛失を防ぐべく永久保存の扱いとされた。

その後、持統天皇の4年(690年)には庚寅年籍(こういんねんじゃく)が編纂された。これによって律令制下の戸籍作成の基本ルールである「六年一造(6年に1度、戸籍を更新すること)」が確立し、班田収授法を実際に施行するための実務的な基盤が整うこととなった。後に制定された大宝律令(701年)や養老律令(718年)でも、この戸籍制度は国の最重要制度として規定されている。

律令支配における戸籍の機能と「偽籍」の横行

戸籍は、行政の最小単位である「戸(こ)」ごとに編纂された。そこには、戸主を中心に家族全員の氏名、年齢、性別、続柄、健康状態、そして社会的身分である良賤(りょうせん)の区別が克明に記録された。国司はこの情報を基に、人民へ「口分田(くぶんでん)」を分け与える班田収授を行い、同時に租・庸・調や雑徭、兵役といった税を割り振った。

しかし、奈良時代から平安時代にかけて課税の負担が重くなると、民衆は税から逃れるために様々な手段を講じるようになった。その代表例が、戸籍上の情報を偽って申請する偽籍(ぎせき)である。当時、租税の負担が重かった男性を少なく見せかけ、税の軽い「女性」として虚偽の報告を行う者が急増し、戸籍上の男女比が極端に歪む現象が見られた。また、貴族や寺社などの有力者の庇護下に入り、浮浪や逃亡を行う人民も後を絶たなかった。

班田収授の崩壊と戸籍の衰退

偽籍の横行や人民の逃亡は、国家が戸籍を通じて人民を個別に支配する体制の限界を意味していた。10世紀前半の平安時代中期になると、実態を反映しない戸籍に基づく班田収授は完全に機能不全に陥った。これに伴い、律令国家は戸籍を用いた個別の人身支配を断念し、国司に一国の徴税権を委ねる体制へと舵を切ることになる。

その結果、課税対象は「人(戸籍)」から「土地(名田・みょうでん)」へとシフトし、徴税のための台帳も戸籍から「大田文(おおたぶみ)」などへと変化していった。こうして古代の戸籍制度は役割を終え、日本の社会構造は大きな転換期を迎えることとなった。なお、現在に伝わる古代の戸籍としては、正倉院に保管されている大宝2年(702年)の「筑前国嶋郡川辺里」などの戸籍残欠が、当時の社会実態を知る一級の史料としてきわめて高く評価されている。

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