内蔵 (うちつくら)
5世紀後半〜6世紀頃
【概説】
古墳時代のヤマト政権(大和朝廷)において、大王(皇室)の私的な財物や宝物を収めていた蔵。国家財政の基礎となった「三蔵」の一つ。
大王家の私財管理と「三蔵」の成立
5世紀後半から6世紀にかけて、ヤマト政権の首長である大王の権力強化に伴い、財政を組織的に管理する仕組みが整えられた。その中で成立したのが、斎蔵(いみくら)、内蔵(うちつくら)、大蔵(おおくら)からなる「三蔵(みつくら)」である。神事の祭器を納める斎蔵、朝廷(国家)の公的な官物を収める大蔵に対し、内蔵は大王家の私的な財産や各地からの貢納物を保管・管理する役割を担った。このように財政を公私の目的別に分離して管理する手法は、ヤマト政権の支配機構がより官僚的・組織的に発展していった段階を示している。
渡来系氏族の登用と律令制への展開
内蔵の管理や実務には、大陸からの先進的な文字や計算の技術を持つ渡来系氏族が深く関わっていた。『日本書紀』などの伝承によれば、雄略天皇の時代に秦氏(はたうじ)や東漢氏(やまとのあやうじ)がこれら三蔵の管理(検校)を任されたとされる。彼らの高い実務能力は、政権の財政基盤を確固たるものにする上で不可欠であった。その後、7世紀末から8世紀の律令国家形成期にいたると、内蔵の機能は中務省に属する「内蔵寮(くらづかさ)」へと再編され、天皇の私財を管理する律令官司として受け継がれていくこととなった。