中務省

重要度
★★

中務省 (なかつかさしょう)

701年〜1885年

【概説】
日本の律令制における二官八省の一つで、八省の筆頭に位置づけられた最重要官司。天皇の側近として詔勅の起草や伝達、宮中の秘書的実務や年中行事を司った。

天皇の側近としての役割と「八省の筆頭」たる理由

律令体制において、中務省は太政官の下に置かれた八省(中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内)の中で、最も高い格式を誇った。これは、他の省が財政や軍事、司法などの国家的実務を細分化して担当したのに対し、中務省は天皇の身辺に奉仕し、天皇の意志を直接国家政策へと反映させる**「輔翼(ほよく)」**の役割を担ったためである。

最大の任務は、天皇の命令である**詔勅(しょうちょく)の起草と宣下**、および貴族や官人からの上奏を天皇に伝える伝達業務であった。この極めて機密性の高い業務を行うため、省内には天皇に常侍する**侍従(じじゅう)**や、詔勅の草案を作成する**内記(ないき)**、天皇の護衛を務める**内舎人(うどねり)**などの重要職が配された。また、天体観測や卜占を行う**陰陽寮(おんみょうりょう)**や、図書の管理・国史の編纂を担う**図書寮(ずしょりょう)**など、天皇の統治権威や宮廷文化を支える専門的な諸官司(被官)も中務省の管轄下に置かれていた。

蔵人所の設置にともなう実権の移行と形骸化

平安時代初期の810年、薬子の変(平城太上天皇の変)を契機として**嵯峨天皇**が**蔵人所(くろうどどころ)**を新設すると、中務省の役割は劇的に変化した。天皇の秘書官としての実質的な実務や機密保持の権限は、即応性に優れた蔵人所へと急速に移行していき、中務省の政治的影響力は低下を余儀なくされた。

実権を奪われた中務省は、次第に宮中儀礼や形式的な文書発給を専門とする官司へと形骸化していった。しかし、八省の筆頭という極めて高い格式自体は失われず、中務省の長官である**中務卿(なかつかさきょう)**には、皇太子や有力な親王(四品以上の親王)が就任する慣例が成立した。この象徴的な格高さは、武家政権の時代を経て、1885(明治18)年の内閣制度発足にともなう太政官制の廃止に至るまで維持され続けた。

律令国家と隋唐文明 (岩波新書 新赤版 1827)

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A.
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