官物

律令制の租・調・庸などが変化したもので、王朝国家において田地(名田)を基準に課せられた米や布などの税を何というか。
カテゴリ:
重要度
★★★

官物 (かんもつ)

10世紀〜

【概説】
平安時代中期の王朝国家体制において、名田(みょうでん)を基準に課されるようになった租税。律令制下における租・調・庸や公出挙(くすいこ)の利息などが一本化されたものであり、主に米や布帛などの物品で国衙に納入された。

律令税制の崩壊と人身賦課からの転換

奈良時代から平安時代初期にかけての律令制では、戸籍・計帳に基づいて人民一人ひとりに課税する人身賦課(人別課税)を原則としていた。これに基づき、租・調・庸や公出挙、雑徭などが徴収されていた。しかし、9世紀から10世紀にかけて、税負担を逃れるための逃亡や浮浪、あるいは戸籍の性別や年齢を偽る偽籍(ぎせき)が蔓延し、律令国家の徴税システムは機能不全に陥った。

この危機的状況を打破するため、朝廷は10世紀初頭から地方統治のあり方を大きく転換させた。戸籍を通じた個別人身支配を実質的に放棄し、代わりに土地を基準にして税を徴収する方針へと舵を切ったのである。国司(受領)は公領(国衙領)の田地を一定の面積ごとに区画して名田(みょうでん)とし、それを田堵(たと)と呼ばれる有力農民に請け負わせた。この新たな地方支配の枠組みを王朝国家(前期王朝国家)体制と呼ぶ。

官物と臨時雑役の成立

名田を単位とする新たな徴税体制において、基礎的な税目は官物(かんもつ)と臨時雑役(りんじぞうやく)の二本柱へと再編された。官物は、かつての律令税制における租(収穫物)・調と庸(特産品や布帛)・公出挙の利息などが一つに統合されたものである。主に米や絹・糸・布などの物品で納入され、中央政府への上分や国衙の主要な財源となった。

一方、かつての雑徭などに由来する労働力(夫役)の賦課は、臨時雑役としてまとめられた。このように、煩雑であった律令時代の税目は「物品の納入(官物)」と「労働力の提供(臨時雑役)」という極めて合理的かつ簡素な形態へと整理されたのである。

負名の誕生と中世への変容

国衙から名田の耕作を請け負い、官物や臨時雑役を納入する義務を負った有力農民(田堵)を負名(ふみょう)と呼ぶ。国司(受領)は彼らに一定の基準で官物を賦課し、その徴収を厳格に行った。受領が多大な富を蓄積し、「受領は倒るる所に土をつかめ」と言われるほど貪欲に徴税を行った背景には、この名田を通じた効率的な官物徴収システムが存在していた。

11世紀から12世紀にかけて荘園公領制が発達する(後期王朝国家)と、荘園や公領における名田の構造も変化していく。それに伴い、公領において国衙に納める官物は、次第に荘園における「年貢」と同じ性質のものとして扱われるようになった。平安時代に成立した官物という概念は、やがて中世社会における基礎的な土地課税である年貢へと受け継がれていくことになる。

日本古代の国家と給与制

律令国家における官人の給与体系を徹底的に解明し、社会構造と制度の変遷を緻密に描き出した画期的な研究書。

日本中世の王朝・幕府と寺社

中世社会の基盤となった権門体制を軸に、王朝や幕府と寺社の多層的な関係性を史料から読み解く重厚な論考。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1929年、小林一三が大阪の梅田駅に開業した、世界初の本格的な私鉄系ターミナルデパートの名称は何か?
Q. 白漆喰の美しい姿から「白鷺城」とも呼ばれ、世界遺産にも登録されている兵庫県の代表的な平山城はどこか?
Q. 国会を構成する二院のうち、解散があり、予算の先議権や内閣不信任決議権などの「優越」が認められている議院はどちらか?