京都探訪1の続き。西本願寺から東本願寺まで歩きます。徒歩15分ほど。東本願寺の西側からは入れないので東側へ回り込みます。

本願寺伝道館あたりにあった二宮金次郎像。最近は歩きスマホを連想させるということで学校には置かなかったり違うポーズにさせられたりしているらしい。

10分ちょっと歩いて東本願寺近くまで来ると大東亜戦争記念石碑というものがあった。昭和19年7月と書かれている。googleマップの口コミで解説している人が居た。なるほど、東本願寺は戦争に協力していた過去があるけど、現在はその過去を懺悔し非戦・平和に取り組んでいる、とのこと。

東本願寺の阿弥陀堂門に到着。国指定重要文化財。ここで本願寺分裂の歴史をおさらい。
石山合戦の終結時、信長との和睦を巡って徹底抗戦を主張する教団内部の対立が生じた。この内部対立は、本願寺のその後の歴史に決定的な影響を与えることになる。豊臣秀吉の時代には手厚い庇護を受け、現在の京都・堀川に寺地を与えられて復興を遂げたが、徳川家康が江戸幕府を開くと事態は急転する。1602年(慶長7年)、家康は強大な本願寺教団の勢力を分断・弱体化させる政治的意図から、隠居していた前法主の教如に烏丸七条に新たな寺地を与えた。これにより本願寺は、顕如の跡を継いだ准如の西本願寺(浄土真宗本願寺派)と、教如が創設した東本願寺(真宗大谷派)に分裂した。両本願寺は江戸幕府の本山・末寺制度の統制下に置かれながらも、日本最大級の仏教教団としての命脈を保ち続け、現在に至っている。
長い。政治的意図とか書かれてますが、諸説あるようです。

ふむ……。さっき見た気がする……。

まぁここはさっと見て次へ。御影堂門が立派ですねえ。明治時代に再建されたものだそうです。
次は三十三間堂へ。歩いて20分ほどでも行けるが、危険な暑さのためバス移動。烏丸七条バス停から博物館三十三間堂前バス停へ。待ち時間も含めると徒歩と時間はほとんど変わらないが、少しだけでも暑さがしのげるのはかなり違う。しかし、バスは混んでいてオーバーツーリズムっぷりを感じた。

三十三間堂に到着。暑い。ここで降りる人は少なめだった。清水寺方面にも行くバスのようだったから多分清水寺目的の人が多かったんだろう。

到着。ここで三十三間堂のおさらいだ!
平安時代末期、後白河法皇が院の御所である法住寺殿内に建立した仏堂。平清盛の多大な協力を得て落慶し、堂内に千体以上の千手観音像が並ぶ壮大な規模を誇った。正面の柱間が33あることから「三十三間堂」の通称で広く知られている。

中は撮影禁止なので外にある看板の写真なのだが、いやーこれがすごかった。本当にこの写真のように観音像がずらーっと並んでいる。しかもその一体一体が人間サイズで、精巧に作られている!圧巻。人もそこまで多くないし、歴史に興味ない人にもおすすめできる。御本尊も神々しかった。

三十三間堂の正面?この建物の中にあんなすごいものが入っているとはね……。ここで三十三間堂千体千手観音像のほうも復習しておこう。
京都の蓮華王院本堂(三十三間堂)に安置されている、1001体の等身大千手観音立像の総称。平安末期の創建時の像も一部含むが、大半は鎌倉時代の火災による焼失後、湛慶をはじめとする慶派などの仏師集団が総力を挙げて再興したものである。鎌倉彫刻の写実性と、大規模な分業生産体制の確立を示す日本美術史上きわめて重要な仏像群である。
創建時の像とか誰々作の像とかわかるようになってました。湛慶大事!

庭。いやーすごく良かった。三十三間堂、オヌヌメです。