後白河上皇(後白河法皇)

平清盛の台頭から源平の争乱、鎌倉幕府の成立にかけて長期間院政を行い、武士たちを翻弄して「日本一の大天狗」と呼ばれた法皇は誰か。
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後白河上皇(後白河法皇)

1127年〜1192年

【概説】
鳥羽法皇の第四皇子であり、保元の乱に勝利して以降、約30年以上にわたり院政を敷いた第77代天皇・上皇。平清盛や源頼朝ら武士の台頭期にあって、巧みな権謀術数を用いて朝廷の権力を維持し、頼朝から「日本一の大天狗」と恐れられた。今様を深く愛好し、『梁塵秘抄』を編纂したことでも知られる。

予期せぬ即位と保元の乱

鳥羽法皇の第四皇子である雅仁親王(のちの後白河)は、若い頃は今様(当時の流行歌)などの遊興に耽り、「皇位につく器量ではない」と周囲から見なされていた。しかし1155年、異母弟の近衛天皇が早世すると、彼の子である守仁親王(のちの二条天皇)が成長するまでの「中継ぎ」として、29歳で突如として皇位に就くこととなった。

翌1156年に鳥羽法皇が崩御すると、皇位継承や摂関家の内紛をめぐる対立が表面化し、保元の乱が勃発する。後白河天皇は、関白・藤原忠通や平清盛、源義朝らの武力を結集して、兄である崇徳上皇方の勢力を打ち破った。この勝利により、後白河は自らの政権基盤を固め、1158年には二条天皇に譲位して院政を開始することとなる。

平氏政権との蜜月と政治的暗闘

院政を開始した後白河上皇であったが、朝廷内では二条天皇を支持する親政派と上皇を支持する院政派の対立が生じた。さらに院近臣間の権力闘争も絡み、1159年に平治の乱が起こる。この乱を制した平清盛は急速に台頭し、後白河は清盛の軍事力と財政力を利用しながら自らの院政を展開した。清盛の援助によって建立された蓮華王院(三十三間堂)などは、両者の蜜月関係を象徴している。

しかし、平氏一門が朝廷の高位高官を独占して権勢を誇るようになると、後白河は次第にこれを警戒し始めた。1177年の鹿ケ谷の陰謀では、院近臣らが平氏打倒を企てたが事前に発覚し、多数の側近が処罰される。ついには1179年の治承三年の政変において、清盛の軍勢によって後白河法皇(1169年に出家)は鳥羽殿に幽閉され、院政は一時停止に追い込まれた。

武将たちを翻弄した「日本一の大天狗」

1180年に源頼政と以仁王(後白河の皇子)が平氏打倒の兵を挙げると、これを契機に全国各地で内乱(治承・寿永の乱)が勃発した。1181年に清盛が病死すると、後白河は院政を復活させ、再び政治的策謀を巡らせていく。

都落ちした平氏に代わって入京した源(木曾)義仲の横暴に悩まされると、関東の源頼朝に接近して義仲を討伐させた。さらに、平氏滅亡後には強大化した頼朝の勢力を恐れ、源義経を重用して頼朝追討の院宣を下すなど、武将同士の対立を煽って共倒れを狙った。こうした法皇の老獪な権謀術数に対し、頼朝は側近への書状の中で法皇を「日本一の大天狗」と痛烈に非難している。最終的に頼朝の圧倒的な軍事力に屈した法皇は、1185年に頼朝に対して守護・地頭の設置を認める院宣(文治の勅許)を下し、結果としてこれが鎌倉幕府の法的基盤の成立につながった。

今様の愛好と中世文化への貢献

熾烈な政治的暗闘に明け暮れた生涯である一方で、後白河は文化面でも大きな足跡を残している。特に若い頃から熱中した今様への情熱は生涯衰えることがなく、遊女や傀儡子(くぐつ)といった身分の低い芸能者からも直接教えを請い、喉から血が出るほど歌い続けたという逸話が残る。晩年には、自ら集めた今様の歌詞や歌謡の秘伝をまとめた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編纂した。

貴族中心の古代社会から武士が支配する中世社会への過渡期において、後白河法皇は朝廷の最高権力者として、時には武力に屈し、時には権謀を駆使してしたたかに生き抜いた。その複雑な人物像は、変革期において王権の権威を必死に維持しようとした中世的君主の姿を如実に物語っている。

白河法皇 中世をひらいた帝王 (角川ソフィア文庫)

院政という独自の政治システムを確立し、武士の台頭を許す中世の礎を築いた異端の帝王の生涯を描いた評伝。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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