坂口安吾 (さかぐちあんご)
【概説】
昭和期に活躍した小説家、評論家。第二次世界大戦後の混乱期に『堕落論』や『白痴』を発表し、戦時中の倫理観や絶対的な価値観を否定して「人間は堕落する存在である」という思想を提示した、いわゆる無頼派(新戯作派)の代表的作家である。
戦前・戦中の思索と文学的出発
坂口安吾は1906年、新潟県新潟市の地主であり衆議院議員も務めた坂口仁一郎の五男として生まれた。東洋大学においてインド哲学を学び、さらにフランス語を修めるなど、洋の東西を問わない深い学識を身につけた。1931年に小説『風博士』が牧野信一から絶賛され、文壇に華々しく登場した。
戦時中は軍国主義的な風潮が強まるなか、国家のプロパガンダに荷担するような国策文学とは一線を画し、独自の人間探究を続けた。空襲下における極限状態の東京で生き抜いた経験は、戦後の人間の本質を見据える独自の文学観を形成するうえで、決定的な影響を与えることとなった。
『堕落論』と「無頼派」の流行
1945年の敗戦後、安吾はそれまでの価値観が180度転換した日本社会に対して、鋭い批評を投げかけた。1946年に発表した評論『堕落論』では、戦時中の「美徳」とされた天皇制や武士道、貞操観念などを、人間を拘束する虚飾にすぎないと批判した。そして、日本人が敗戦によって軍人からヤミ屋へと「堕落」していく姿を、人間の本性に立ち返る健康的なプロセスとして肯定し、「生きよ、堕ちよ」という鮮烈なメッセージを送った。
同年に発表された小説『白痴』でも、知的障害を持つ女性との戦火の中での共生を通じて、制度やモラルを取り払った先にある剥き出しの人間愛を描いた。安吾は、太宰治や織田作之助、石川淳らとともに「無頼派(新戯作派)」と称され、戦後の虚脱状態(アプレゲール)に喘ぐ人々に圧倒的な支持を広げた。
多面的な言論活動と歴史への眼差し
安吾の活動は純文学や時評にとどまらなかった。1948年には本格的なミステリー小説『不連続殺人事件』を執筆し、翌年に第2回日本探偵作家クラブ賞を受賞するなど、推理小説の分野でも高い評価を得た。また、独自の歴史観に基づいた『安吾新日本地理』や『安吾史譚』を著し、偉人たちの虚像を暴き、民衆の生活感情から逆照射する合理主義的な歴史解釈を提示した。戦後言論界の旗手として多大なる影響力を持った安吾だったが、1955年に脳出血のため48歳で急逝した。その徹底した合理主義と反俗の精神は、戦後日本思想史において今なお独自の輝きを放っている。