第2次山県有朋内閣

隈板内閣のあとに発足し、政党の勢力が官僚や軍部に及ぶことを防ぐため、軍部大臣現役武官制などを定めた内閣は何か?
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重要度
★★

【参考リンク】
山縣有朋(Wikipedia)

第2次山県有朋内閣 (だいにじやまがたありともないかく)

1898〜1900年

【概説】
初の政党内閣である第1次大隈重信内閣(隈板内閣)の崩壊後、山県有朋が組織した超然主義を掲げる藩閥内閣。政党勢力の台頭を抑え込み、官僚や軍部の自立性を守るための制度改革を断行した政権である。

隈板内閣の崩壊と「超然」の再構築

1898年、日本初の政党内閣である第1次大隈重信内閣(憲政党)が、閣内の内紛(共和演説事件など)によってわずか4ヶ月で自壊した。これを受けて、明治維新以来の藩閥体制の維持を強硬に主張する元勲・山県有朋が、再び首相の座に就いた。これが第2次山県有朋内閣である。

山県は本来、政党を排除する「超然主義」の立場をとっていたが、懸案であった軍備拡張のための地租増徴案を可決させるため、一時的に憲政党(旧自由党系)と提携する道を選んだ。この妥協により、地租率を2.5%から3.3%に引き上げる地租増徴を成立させ、日露戦争前夜の軍拡資金を確保することに成功した。しかし、山県にとって政党との妥協は一時的な手段に過ぎず、その真の狙いは、政党の権力がこれ以上官僚組織や軍部に浸透しないように「防波堤」を築くことにあった。

官僚・軍部への政党進出を阻む制度改革

山県内閣は、政党の影響力が官僚組織に及ぶのを防ぐため、1899年に文官任用令を改正した。これにより、自由な任用を制限して官僚への登用ルートを厳格な試験(高等文官試験)の合格者に限定し、政党員が猟官運動によって官職に就く道を事実上閉ざした。これは、近代的な官僚制の独立性を高めると同時に、政党の弱体化を狙ったものであった。

さらに1900年には、陸海軍の大臣を現役の大将・中将に限る軍部大臣現役武官制を導入した。この制度は、退役・予備役の将官を排除することで、政党員が陸海軍大臣として入閣することを防ぎ、軍の統帥権の独立を守る目的で制定された。しかし、この制度は後に、軍部が気に入らない内閣に対して大臣を出さず、あるいは引き揚げることで内閣を倒す・組織させないという、軍部による政治介入の強力な武器として悪用されることとなった。

社会運動への弾圧と義和団事件

日清戦争後の産業革命にともない、日本国内では労働運動や社会主義運動が萌芽し始めていた。山県内閣は、これら新たな社会変革の動きに対処するため、1900年に治安警察法を制定した。同法は、労働運動、小作争議、政治集会などを厳しく規制・処罰するものであり、昭和期に制定される治安維持法と並び、戦前の治安立法(社会運動弾圧)の基盤となった。

外交面では、1900年に清国で発生した義和団事件(北清事変)に対し、地理的な近さを生かして連合軍の中で最多の兵力を派遣した。この迅速かつ規律正しい出兵は欧米列強から高く評価され、後の1902年における日英同盟結成の重要な契機となった。

このように、第2次山県有朋内閣は、藩閥官僚勢力の防衛線となる諸制度(文官任用令改正、軍部大臣現役武官制、治安警察法)を相次いで完成させた後、伊藤博文による政党(立憲政友会)結成という新たな政界再編の動きに直面し、退陣へと追い込まれた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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Q. 陸軍と海軍の共同作戦によって日本軍が占領し、清国の北洋艦隊を完全に壊滅させて戦争の勝利を決定づけた山東半島の軍港はどこか?
Q. 1927年に成立し、金融恐慌の沈静化や強硬な対中国外交を展開したものの、張作霖爆殺事件の引責により総辞職に追い込まれた立憲政友会の内閣は何か?
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