三十三間堂千体千手観音像

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
千手観音(Wikipedia)
中は撮影禁止なので外で撮った看板。圧巻でした。

三十三間堂千体千手観音像 (さんじゅうさんげんどうせんたいせんじゅかんのんぞう)

1266年完成

【概説】
京都の蓮華王院本堂(三十三間堂)に安置されている、1001体の等身大千手観音立像の総称。平安末期の創建時の像も一部含むが、大半は鎌倉時代の火災による焼失後、湛慶をはじめとする慶派などの仏師集団が総力を挙げて再興したものである。鎌倉彫刻の写実性と、大規模な分業生産体制の確立を示す日本美術史上きわめて重要な仏像群である。

蓮華王院の創建と鎌倉期の焼失・再興

蓮華王院は、平安時代末期の長寛2年(1164年)、後白河法皇の院政を支えた平清盛が資材を寄進して創建された。この本堂(三十三間堂)には当初から千体千手観音像が安置されていたが、建長元年(1249年)の火災によって本堂とともにその多くが焼失した。現在安置されている千体像のうち、平安期の創建時のものは124体にとどまり、残りの870余体は鎌倉時代の文永3年(1266年)の本堂再興に向けて、集中的に造立されたものである。

慶派を中心とする仏師集団の結集と組織的制作

鎌倉期の再興事業にあたっては、名匠・運慶の長男である湛慶(当時80代)を筆頭とする慶派の仏師たちが総動員されたほか、円派、院派といった当時の主要な仏師集団が宗派を超えて協力した。寄木造の技法を駆使し、高度な分業体制を敷くことで、短期間での大量造立を可能にした。湛慶の指導のもとで写実性と力強さを備えた鎌倉彫刻の様式美が保たれつつも、細部には各仏師の個性が光る傑作群として、中世彫刻史に大きな足跡を残している。

最終更新:
2026年9月4日 @ 16:18

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