日銀引き受け

高校日本史的重要度
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【参考リンク】
日本国債(Wikipedia)

日銀引き受け

1932年〜

【概説】
政府が発行した赤字国債を、中央銀行である日本銀行が直接買い取る(引き受ける)金融・財政政策。世界恐慌下において、速やかなデフレ脱却と急激なインフレ抑制を両立させるための緊急策として導入された。

高橋財政における導入とその意図

1931(昭和6)年末に発足した犬養毅内閣の蔵相・高橋是清は、世界恐慌による大不況から日本経済を救うため、金輸出再禁止や管理通貨制度への移行に伴う積極財政(時局匡救事業や軍事費の拡大)を断行した。その膨大な財源を調達する手法として、1932年に導入されたのが「日銀引き受け」である。国債を市中(一般の銀行や市場)に直接売却すると金利が急騰して民間資金が圧迫される恐れがあったため、一度日本銀行に直接国債を買い取らせ、日銀が新たに発行した紙幣(日本銀行券)を政府の資金とした。そして、景気の回復度合いを見極めながら、日銀が保有する国債を市中に売却(市中売却)して通貨を回収することで、急激なインフレ(悪性インフレ)の発生を防ぐメカニズムが企図されていた。

軍事費膨張によるコントロールの喪失と禁止への道

この政策は一時的に功を奏し、日本は世界で最も早く不況からの脱却に成功した。しかし、1936(昭和11)年の二・二六事件で高橋是清が暗殺されると、財政の「歯止め」が失われることとなった。日中戦争から太平洋戦争へと戦火が拡大するなかで軍事費は際限なく膨張し、政府は日銀引き受けによる安易な国債増発を繰り返した。その結果、市中売却による通貨回収は不可能となり、戦中から戦後にかけての壊滅的なハイパーインフレを引き起こす主因となった。この深刻な反省から、戦後の1947(昭和22)年に制定された財政法第5条において、国債の日銀直接引き受けは原則として禁止されている。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:44

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