管理通貨制度

金輸出再禁止以降、日本の通貨制度は金本位制から、政府・日銀が自律的に通貨量を調整する何という制度へと移行したか?
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管理通貨制度

1931年〜

【概説】
中央銀行の金保有量に縛られることなく、政府や中央銀行が自国の経済状況に応じて通貨の発行量を調整・管理する通貨制度。日本では1931年(昭和6年)の金輸出再禁止に伴って金本位制から離脱したことにより確立し、高橋是清蔵相の下で積極的な財政政策の基盤となった。

金本位制の崩壊と管理通貨制度への移行

1920年代までの世界の主要国は、自国の通貨と一定量の金との交換を保証する金本位制を採用していた。日本も1897年(明治30年)に金本位制を確立していたが、第一次世界大戦を機に金輸出を禁止した。その後、1930年(昭和5年)に浜口雄幸内閣の井上準之助大蔵大臣が国際経済への復帰を目指して金解禁(金輸出解禁)を断行する。しかし、前年に発生した世界恐慌の波及と重なったことで日本経済は深刻なデフレ状態に陥り、昭和恐慌を引き起こす結果となった。

1931年(昭和6年)にイギリスが金本位制を離脱すると、同年12月に成立した犬養毅内閣の高橋是清大蔵大臣は、即座に金輸出再禁止と銀行券の金兌換停止を断行した。これにより日本は金本位制から離脱し、通貨の発行量を金準備高に縛られず、政府や日本銀行の裁量で調整できる管理通貨制度へと移行したのである。

高橋財政とマクロ経済政策の展開

管理通貨制度の下で高橋是清が展開した一連の経済政策は「高橋財政」と呼ばれる。高橋は、デフレからの脱却を図るため、日本銀行に国債を直接引き受けさせて通貨供給量を増大させ、その資金を農村救済の土木事業や軍事費に投入した。これは、のちのケインズ経済学における有効需要創出政策を先取りする画期的なマクロ経済政策であった。

さらに、金本位制離脱により円の為替相場は大幅に下落(円安)した。この円安を利用して綿織物などの輸出が飛躍的に伸び、日本は世界主要国の中でいち早く恐慌からの脱出に成功した。ただし、この急速な輸出拡大は、欧米諸国から不当に安い労働力を用いた「ソーシャル・ダンピング」であるとして激しい非難を浴び、国際的な経済摩擦を引き起こす要因ともなった。

軍事費の膨張と悪性インフレへの転落

管理通貨制度は、経済状況に応じた柔軟な通貨供給が可能である半面、政府の規律が失われれば際限なく通貨が発行され、悪性のインフレーションを招く危険性を孕んでいる。高橋是清は景気が回復局面に達したと判断すると、インフレの過熱を防ぐために国債発行の縮小、すなわち軍事費の抑制を図った。

しかし、満州事変以降、政治的発言力を強めていた軍部はこれに猛反発し、1936年(昭和11年)の二・二六事件で高橋は暗殺されてしまう。インフレ抑止の要であった彼を失った後の日本政府は、軍事費の膨張に歯止めをかけることができなくなり、日中戦争から太平洋戦争へと至る戦時下において日銀の国債引き受けによる赤字財政が常態化した。その結果、市中には大量の紙幣が溢れ、日本経済は統制下での激しいインフレーションに直面することとなった。

歴史的意義と現代へのつながり

日本における管理通貨制度の導入は、金保有量という物理的な制約からマクロ経済政策を解放し、国家が積極的に経済運営に介入する道を開いたという点で、近代経済史上の重大な転換点であった。戦時中の悪性インフレという負の側面を経験したものの、第二次世界大戦後も世界的に純粋な金本位制が復活することはなかった。1971年のニクソン・ショックによる金とドルの兌換停止を経て、現在に至るまで日本を含む世界の主要国は管理通貨制度を採用し続けている。その意味で、昭和恐慌期におけるこの制度への移行は、現代日本の経済システムを決定づけた極めて重要な歴史的事象であるといえる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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