ソーシャル=ダンピング (そーしゃるだんぴんぐ)
【概説】
金輸出再禁止による大幅な為替安と国内の低賃金労働を背景とした、日本製品の爆発的な輸出急増に対する欧米列強からの不当廉売(ダンピング)非難。世界恐慌に苦しむイギリスなどの先進国が、自国産業を守るために日本の進出を警戒して唱えた言葉である。
高橋財政による円安と輸出の爆発的急増
1929年に発生した世界恐慌に対し、日本は1931年12月に犬養毅内閣の蔵相高橋是清のもとで金輸出再禁止(金本位制からの離脱)を断行した。これにより、日本の通貨である円の為替相場は急落し、大幅な円安が進行することとなった。
この円安を背景に、日本の輸出産業、とりわけ綿織物をはじめとする軽工業品は劇的な価格競争力を獲得した。さらに、昭和恐慌下の農村の窮乏から生じた豊富な低賃金労働力が工場へ流入していたため、生産コストを極めて低く抑えることができた。この「円安」と「低賃金」の相乗効果により、日本製品は世界市場を席巻し、日本は主要国の中で最も早く恐慌からの脱出を遂げることとなった。
欧米諸国の反発とブロック経済への移行
日本の急速な輸出攻勢に対し、自国の植民地や市場を奪われた欧米諸国、特に綿産業で競合したイギリスは激しく反発した。イギリスなどは、日本の労働者が劣悪な環境と低賃金で酷使されているとし、人権や社会基準を無視した不公正な輸出であるとしてこれを「ソーシャル=ダンピング」(社会的ダンピング)と非難した。
この非難は日本製品を市場から排除するための口実でもあった。イギリスは1932年のオタワ連邦会議を契機に、本国と植民地・連邦国間での関税を優遇し、域外からの輸入品(日本製品など)に高関税を課すスターリング=ブロック(帝国特恵制度)を形成した。フランスやアメリカも同様にブロック経済圏を構築したため、日本は国際市場から締め出されることとなった。
歴史的意義と二国間摩擦への展開
ソーシャル=ダンピング非難に端を発する経済摩擦は、日本とイギリスの間で日英会商(1934年)が決裂するなど、国際的な孤立を深める要因となった。市場を閉ざされた日本は、自らの経済圏(ブロック)を確保するために中国大陸への軍事的・経済的進出(日満華経済ブロック、のちの大東亜共栄圏)を本格化させることとなり、これが第二次世界大戦へとつながる重要な伏線となった。