日本協同党

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
日本協同党(Wikipedia)

日本協同党 (にほんきょうどうとう)

1945〜1946年

【概説】
太平洋戦争直後の1945年12月に結成された、協同組合主義を標榜する中間派の政党。大資本による資本主義と革新陣営による社会主義の双方に対抗し、農村の産業組合関係者や中小商工業者を基盤とした。

協同組合主義の提唱と結成の背景

1945(昭和20)年8月の敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による民主化政策のもとで、日本における政党活動が急速に再開された。そのなかで、戦前の産業組合運動(現在の農協などの前身)の指導者であった千石興太郎や、北海道の酪農運動を率いた黒沢酉蔵らが中心となり、同年12月に日本協同党が結成された。

彼らが掲げた協同組合主義(協同主義)とは、資本主義の営利至上主義による格差拡大と、社会主義が目指す階級闘争や私有財産の否定の双方を批判する思想であった。生産者や消費者が協同組合を通じて相互扶助を行い、自主的かつ民主的に経済を管理することで、社会の調和と戦後復興を達成しようとする「第三の道」を模索した。その主な支持層は、戦時中の統制から解放された全国の農村や、戦後の混乱に苦しむ都市の中小商工業者であった。

総選挙での奮闘と中間派政党の系譜

日本協同党は、1946(昭和21)年4月に実施された戦後初の総選挙(第22回衆議院議員総選挙)において14議席を獲得し、一定の存在感を示した。しかし、単独での政権獲得や政策実現には勢力が不十分であったため、選挙直後の1946年5月には、他の中間派・無所属議員を吸収する形で協同民主党へと改組された。

この潮流は、のちに三木武夫(後の首相)らが率いるグループと合同して結成される国民協同党へと引き継がれ、1947(昭和22)年に発足した片山哲連立内閣(日本社会党・民主党・国民協同党)に参画する基礎となった。戦後の二大政党制(保守対革新の「55年体制」)へと至る過渡期において、中道政治・協同主義政治の系譜を形作った先駆的な存在として、日本政治史において独自の意義を持っている。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:46

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1908年に発足し、大逆事件で社会主義者を弾圧する一方、韓国併合や条約改正(関税自主権の回復)を成し遂げた内閣は何か?
Q. 鎌倉時代の地頭などをルーツとし、在地に土着して地域に強い影響力を持つようになった地方の有力武士を総称して何というか?
Q. もとは太田道灌が築城し、のちに徳川家康らが入封して大規模な拡張工事を行い、江戸幕府の将軍の居城・政庁となった城はどこか?