北海道

明治維新後、「蝦夷地」から改称され、政府によって開拓使が置かれて本格的な開拓が進められた地域はどこか?
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重要度
★★★★

北海道

1869年〜

【概説】
ロシアの南下に備える防衛と資源開発のため、明治政府が「蝦夷地」から改称して開拓使を置いた地域。1869(明治2)年に日本の近代国家における完全な領土として組み込まれ、その後の資本主義の発展を支える重要な拠点となった。

蝦夷地から「北海道」への改称と開拓使の設置

箱館戦争による旧幕府軍の平定後、新政府は1869(明治2)年に蝦夷地を北海道と改称し、行政機関として開拓使を設置した。「北海道」という名称は、幕末から北方探検に従事した松浦武四郎が建白した「北加伊道」などをベースに制定されたものである。これは単なる地名の変更にとどまらず、旧来の松前藩による点と線の限定的な支配から、近代国民国家の領土として完全に編入し、政府主導で本格的な開拓を進めるという国家の強い意志の表れであった。開拓使の次官(のちに長官)に就任した黒田清隆は、アメリカからホーレス・ケプロンらをお雇い外国人として招聘し、欧米の近代的な技術を取り入れた大規模な農業開発やインフラ整備を推し進めた。

対ロシア防衛と屯田兵制度の導入

北海道開拓を強力に推し進めた最大の要因は、北方からのロシア帝国の南下に対する強い危機感であった。1875(明治8)年の樺太・千島交換条約によって日露間の国境が画定したものの、広大で人口の少ない北海道の防衛は、明治政府にとって国家の存亡に関わる喫緊の課題であった。そこで導入されたのが、平時は農業などの開拓に従事し、有事の際には兵士として防衛にあたる屯田兵の制度である。1874(明治7)年に制度化され、翌年から琴似(現在の札幌市)などへの入植が開始された。初期は士族授産の一環として没落した士族が中心であったが、のちには平民からも広く募集され、北海道の治安維持と農地開拓の双方に大きく貢献することとなった。

資本主義の発展と資源開発の本格化

北海道は、明治期の日本の資本主義発達において、重要な資源供給地としての役割を担った。開拓使のもとで幌内炭鉱などの石炭開発が進められ、採掘された石炭は国内の産業革命を支える不可欠なエネルギー源となった。また、官営工場としてビール醸造(のちのサッポロビール)や製糖、製糸などの産業も育成された。1881(明治14)年に発覚した開拓使官有物払下げ事件は、これらの官営事業を不当に安く政商へ売却しようとしたものであり、自由民権運動を激化させ明治14年の政変の引き金ともなった。開拓使の廃止後、三県一局時代を経て1886(明治19)年に北海道庁が設置されると、鉄道の敷設や道路網の整備がさらに加速し、本州からの移民が激増して本格的な農業・漁業・鉱業の発展を見た。

近代国家への編入とアイヌ民族への同化政策

明治政府による北海道の「開拓」と一方的な領土化は、先住民族であるアイヌの人々の生活や文化に多大な打撃を与えた。政府はアイヌを「旧土人」と呼称し、日本の近代国家システムに強制的に組み込む同化政策を推進した。これにより、狩猟や漁労を中心とする伝統的な生活様式や独自の風習は制限・禁止され、和人(本州からの移民)を中心とする農耕生活が強要された。1899(明治32)年には北海道旧土人保護法が制定され、農地の付与や医療・教育の提供が謳われたものの、実態としてはアイヌの土地を奪い、独自の言語や文化を喪失させ、深刻な貧困化を招く結果となった。北海道の歴史的意義を捉える上では、国家主導の近代化の裏にあった先住民族の周縁化という負の側面も不可視化してはならない重要な論点である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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