草戸千軒町 (くさどせんげんちょう)
【概説】
備後国(現・広島県福山市)の芦田川河口に存在した、鎌倉時代から室町時代にかけて繁栄した中世の港町遺跡。江戸時代に洪水によって水没したが、昭和期の発掘調査によって当時の町並みや生活物資が極めて良好な状態で検出され、「日本のポンペイ」と称される。
中世瀬戸内における交通・商業の要衝
草戸千軒町は、山陽道から南下する陸路と、瀬戸内海を行き交う船が結節する芦田川河口の微高地に形成された。この地は、有力寺院である明王院(常福寺)の門前町としての性格を持ちつつ、瀬戸内海運の主要な寄港地(港町)として急速に発展を遂げた。
発掘調査からは、整然と区画された道路や、掘立柱建物、井戸などの町並みが確認されている。また、出土品には日本各地の陶磁器(備前焼や信楽焼など)のみならず、中国から輸入された青磁・白磁や大量の宋銭・明銭が含まれており、この町が広域的な商業網の中継基地として機能し、豊かな経済力を誇っていたことを裏付けている。
水没による「奇跡の保存」と中世庶民史の解明
栄華を極めた草戸千軒町であったが、16世紀の後半以降、芦田川の流路変化や相次ぐ洪水、さらには近隣に築かれた神辺城や福山城への都市機能の移転などにより、徐々に衰退していった。そして江戸時代中期の洪水によって町の大半が完全に土砂の下へ埋没し、歴史の表舞台から姿を消した。
1961年から始まった芦田川の改修工事に伴い、本格的な発掘調査が実施された。川底の遮水性の高い泥土に遮られたことで、本来なら腐食して残らない木製品(下駄、漆器、卒塔婆、井戸側桶など)や金属製品、さらには動植物の遺骸が非常に生々しい状態で出土した。この発見は、火山灰に埋もれて古代ローマの生活様式を現代に伝えたポンペイ遺跡に擬せられ、それまで文献史料の少なかった中世の庶民生活や都市空間の実態を具体的に解明する上で、日本考古学・歴史学における画期的な業績となった。