農民労働党

1925年12月に結成された最初の無産政党であったが、政府から共産主義者の潜入を疑われ、結成わずか3時間で禁止された政党は何か?
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【参考リンク】
農民労働党(Wikipedia)

農民労働党 (のうみんろうどうとう)

1925年

【概説】
普通選挙法の成立直後である1925年12月に結成された、日本最初の合法的無産政党。しかし、結党式直後に共産主義幹部の関与を理由として、治安警察法に基づき即日結社禁止処分を受けた政党である。

普通選挙法の成立と無産政党の組織化

大正デモクラシーの進展に伴い、1925(大正14)年に加藤高明護憲三派内閣のもとで普通選挙法が成立した。これにより、従来の納税要件が撤廃され、25歳以上のすべての男子に参政権が与えられることとなった。労働者や農民といった無産階級が選挙権を獲得したことを受け、労働運動や農民運動の指導者たちは、議会政治を通じて合法的に社会変革を目指すための政治組織、すなわち「無産政党」の結成を急いだ。

こうした状況下で、日本農民組合(日農)や日本労働総同盟などの主要な社会運動団体が合流し、新政党の樹立を目指して準備が進められた。これが「農民労働党」結成への動きである。

結党と治安警察法による即日結社禁止

1925年12月1日、東京・神田の YMCA会館において農民労働党の結成大会が開催された。しかし、同党の結成にあたっては、当時非合法であった日本共産党(第一次共産党解散後の再建運動期)の活動家や、過激な左派分子が深く関与していると政府当局から警戒されていた。

加藤高明内閣の内務大臣・若槻礼次郎は、同党の綱領や背後関係を「社会秩序を乱す恐れがある」と判断。結党大会の終了からわずか数時間後、治安警察法第8条(治安を妨げる結社の禁止)を適用し、即日結社禁止の命令を下した。これにより、日本初の無産政党は実質的な活動を行うことなく、一瞬にして壊滅させられた。

無産政党運動の分裂と展開

農民労働党の即日禁止は、合法的な社会主義運動の困難さを浮き彫りにした。政府は同年、普通選挙法と引き換えに治安維持法を制定しており、社会主義運動に対する締め付けを急速に強めていたのである。

この事件を契機に、無産運動陣営の内部では、政府の弾圧を避けるために共産主義・極左勢力を排除すべきとする「右派・中間派」と、広範な共同戦線を維持すべきとする「左派」との対立が激化。翌1926年に結成された労働農民党(労農党)以降、日本の無産政党は社会民衆党(右派)、日本労農党(中間派)、労働農民党(左派)などへと分裂・離合集散を繰り返していくこととなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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