無産政党

普通選挙法の成立を背景に誕生した、労働者や農民などの利益を代表して政治運動を行う合法的な社会主義政党を総称して何というか?
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★★★

【参考リンク】
無産政党(Wikipedia)

無産政党

1925年〜1940年

【概説】
1925(大正14)年の普通選挙法成立を機に結成された、労働者や小作農など財産を持たない階級(無産階級)の利益を代弁する合法的な社会主義政党の総称。革命を目指す非合法の日本共産党とは一線を画し、議会制民主主義を通じた社会改良を目指したが、思想的対立による離合集散を繰り返した。

普通選挙法の成立と結成の機運

1925(大正14)年、第二次護憲運動の成果として普通選挙法が成立し、納税資格による制限が撤廃されて満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられた。これにより、これまで政治の世界から排除されていた労働者や小作農などのいわゆる「無産階級(プロレタリアート)」が、議会を通じて国政に参加する道が開かれた。

しかし同時に、政府は社会主義運動や共産主義運動を弾圧するための治安維持法を制定した。そのため、暴力革命を否定し、議会制民主主義の枠内で労働条件の改善や農地制度の改革といった社会改良を目指す、合法的な社会主義政党の結成が労働組合や農民組合の間で模索されるようになった。これが無産政党結成の直接的な背景である。

思想的対立と三派鼎立の形成

無産政党の結成は決して順風満帆ではなく、運動内部の思想的対立や政府の弾圧によって激しい分裂と離合集散を伴った。1925年末に初の単一無産政党として農民労働党が結成されたが、政府によってわずか数時間で結社禁止処分(即日禁止)を受けた。翌1926(大正15)年には改めて労働農民党(労農党)が結成された。

ところが、この労働農民党の内部で、非合法の日本共産党系の活動家が主導権を握るようになると、共産主義に反発する穏健な右派が離脱し、安部磯雄らを指導者とする社会民衆党を結成した。さらに、右派と左派の対立を嫌った中間派も離脱し、麻生久らが日本労農党を結成した。このように、結成当初の無産政党は主に「労農党(左派)」「日本労農党(中間派)」「社会民衆党(右派)」という三派鼎立の複雑な状況に陥り、支持基盤である労働組合や農民組合の分裂をも引き起こした。

初の普通選挙と政府による弾圧

1928(昭和3)年、初の普通選挙となる第16回衆議院議員総選挙が実施された。無産政党は各地で激しい選挙戦を展開し、合計で8名(労働農民党2名、日本労農党1名、社会民衆党4名など)の当選者を出し、議会への進出を果たした。

しかし、この結果に強い危機感を抱いた田中義一内閣は、選挙直後に三・一五事件を引き起こして日本共産党員や同調者を全国規模で一斉検挙した。この時、共産党の隠れ蓑になっているとして左派の労働農民党なども治安警察法に基づき結社禁止処分を受け、強制的に解散させられた。その後も政府による厳しい思想弾圧が続く中、無産政党は合法的存在を維持するために一層の穏健化を余儀なくされていった。

社会大衆党への統一と翼賛体制への合流

1930年代に入り満州事変が勃発すると、国内では政党内閣が崩壊し、軍部ファシズムや国家主義が台頭し始めた。この政治的危機感から、無産政党の間でも大同団結の機運が高まり、1932(昭和7)年に右派の社会民衆党と、中間派・左派の一部が合同していた全国労農大衆党が合流し、統一無産政党である社会大衆党が結成された。

社会大衆党は、1937(昭和12)年の総選挙で37議席を獲得して第3党に躍進するなど、国民の不満を吸収して支持を拡大した。しかし、次第に階級闘争の理念を放棄し、国家社会主義的な傾向を強めていく。軍部の革新派(統制派など)が掲げる「国家改造」の主張に共鳴し、日中戦争の遂行に積極的に協力するようになったのである。最終的に1940(昭和15)年、近衛文麿が主導する新体制運動にいち早く呼応して自発的に解散し、大政翼賛会へと合流。これにより、戦前日本における無産政党の歴史は幕を閉じることとなった。

日本戦後史論

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大正デモクラシー (同時代ライブラリー 184)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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