グナイスト

高校日本史的重要度
★★

グナイスト

1816〜1895

【概説】
近代ドイツ(プロイセン)の法学者、政治家。明治憲法の制定を模索していた伊藤博文に対し、君主権の強いプロイセン国法学の理論を講じた人物。

伊藤博文の渡欧とグナイストへの師事

1881(明治14)年の明治十四年の政変において、明治政府は1890年の国会開設を公約し、大隈重信らが唱えるイギリス型の政党内閣制を排して、君主権の強いドイツ(プロイセン)型の憲法制定方針を固めた。この憲法調査の任務を帯びて1882年に渡欧した参議・伊藤博文が、最初に滞在したベルリンで指導を仰いだのが、ベルリン大学教授であったグナイスト(Rudolf von Gneist)である。伊藤は彼から数ヶ月にわたり、プロイセン憲法体制を中心とする国家法の講義を集中的に受けた。

「国情」の重視と君主権強化の論理

グナイストは伊藤に対し、単に他国の憲法の条文を模倣するのではなく、その国の歴史・伝統や社会秩序(国情)に適合した憲法を創るべきであると強く説いた。また、議会の勢力増大によって行政権(君主権)が麻痺することを防ぐため、強固な行政権の確立が必要であると主張した。この教えは、天皇を中心とする国家体制の構築を目指していた伊藤に大きな影響を与えた。さらにグナイストは、議会が予算案を否決した場合に前年度の予算をそのまま執行する仕組み(のちの大日本帝国憲法第71条に反映)など、議会の反抗に対抗するための具体的な制度設計についても実践的な助言を与えている。

シュタインへの橋渡しと明治憲法への結実

グナイストの講義は多忙などの理由から比較的短期間で終了したが、彼は自身の弟子でもあるウィーン大学の法学者ローレンツ・フォン・シュタインを伊藤に紹介した。伊藤はその後、ウィーンへ移動してシュタインからより体系的・歴史的な国家学の講義を受け、国家組織の骨格を確固たるものにしていった。グナイストから学んだ「君主権の擁護」と「国情の重視」という基本姿勢は、帰国後の伊藤や井上毅らによる憲法起草作業に決定的な指針を与え、1889年に発布される大日本帝国憲法(明治憲法)の基本性格を決定づけることとなった。

最終更新:
2026年9月25日 @ 17:26

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