国会
【概説】
日本国憲法において、「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」と位置づけられた合議制の代議機関。1947年(昭和22年)の日本国憲法施行に伴い、大日本帝国憲法下の帝国議会に代わって発足し、国民主権の原則に基づく議会制民主主義の根幹を担っている。
帝国議会からの転換と「国権の最高機関」
近代日本における議会制度は、1890年(明治23年)に開設された帝国議会に始まる。しかし、大日本帝国憲法体制下の帝国議会は、天皇が総攬する立法権を「協賛(同意)」する機関にすぎず、行政権(内閣)の存立も天皇の主権下にあったため、議会の権限は限定的であった。これに対し、第二次世界大戦の敗戦を受けた民主化政策の中で制定された日本国憲法(1947年施行)は、主権在民の原則を高らかに謳い、国家機関のあり方を根本から転換させた。
日本国憲法第41条は、国会を「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」と規定している。これにより、国会は主権者である国民の意思を代表し、国家意思の決定において中心的な地位を占めることとなった。また、内閣総理大臣を国会議員の中から指名し、内閣が国会に対して連帯して責任を負う議院内閣制が確立した。これにより、戦前の「超然内閣」の時代とは大きく異なり、国会が行政権の存立基盤を直接的に握ることとなったのである。
完全公選による二院制と衆議院の優越
国会の構成は、衆議院と参議院の二院制(両院制)が採用された。戦前の帝国議会においては、皇族や華族、多額納税者などで構成される非公選の貴族院が存在したが、日本国憲法下では特権階級が廃止され、両院ともに全国民の代表として直接選挙で選ばれる議員によって構成されることとなった。
二つの議院を設ける目的は、国民の多様な意思を国政に広く反映させるとともに、一方の院の軽率な決定を防ぎ、審議の慎重さを担保することにある。ただし、両院の権限は完全な対等ではない。任期が短く(4年)、かつ解散があるため、より直接的にその時々の民意を反映するとされる衆議院の優越が認められている。具体的には、予算の先議権、内閣不信任決議権、条約の承認や内閣総理大臣の指名における優位性、法律案の再可決権などが衆議院にのみ付与されており、国会運営における主導的な役割を担っている。
戦後日本政治史における国会の動態
戦後の日本政治史において、国会はイデオロギー対立と権力闘争の主戦場となってきた。特に1955年(昭和30年)に保守合同で結成された自由民主党と、左派・右派が再統一した日本社会党による「55年体制」が成立すると、国会では長らく「保守対革新」の激しい対立が繰り広げられた。1960年の日米安全保障条約改定(安保闘争)の際には、衆議院での強行採決をめぐって国会内外で大規模な抗議運動と混乱が生じている。
また、与野党の議席差が接近した1970年代の「保革伯仲」時代には、国会対策委員会を通じた水面下での折衝や、妥協を伴う国会運営が常態化した。1990年代以降は、冷戦の終結や小選挙区比例代表並立制の導入に伴う政治改革により、二大政党制への移行と政権交代を前提とした新たなダイナミズムが生まれた。このように、国会は単なる法律制定の場にとどまらず、歴史の転換点において日本社会の分断と合意形成の過程を明確に映し出す、極めて重要な政治的アリーナとして機能し続けている。