アンコール・ワット
12世紀前半/日本史との関わりは17世紀前半
【概説】
カンボジアに存在する12世紀前半に建立された巨大な寺院遺跡。江戸時代初期、朱印船貿易の隆盛に伴って東南アジアへ渡った日本人が、この地を仏教の聖地「祇園精舎」と誤認して参詣し、柱に墨書の落書きを残したことで日本史においても深く知られる遺構である。
朱印船貿易の隆盛と日本人の東南アジア進出
17世紀初頭の織豊期から江戸時代初期にかけて、豊臣秀吉や徳川家康は海外交易を推奨し、朱印船貿易が活発に行われた。これにより、多くの日本人の商人や浪人がタイ(アユタヤ)やカンボジアなどの東南アジア各地へ渡航し、現地の主要都市には日本人町が形成されるに至った。カンボジアへも数多くの朱印船が派遣され、皮革や薬草、香木などの交易が行われていた。このような活発な国際交流の時代背景のもと、多くの日本人がカンボジアの内陸部にまで足を踏み入れることとなったのである。
「祇園精舎」への誤認と森本右近太夫の落書き
当時、仏教の開祖である釈迦が説法を行ったとされるインドの祇園精舎は、日本の仏教徒にとって憧れの聖地であった。しかし、当時の日本人が持っていた不正確な海外情報により、カンボジアにそびえ立つアンコール・ワットこそが、その祇園精舎であると広く信じられていた。1632年(寛永9年)、肥後(熊本)の加藤家の遺臣であった森本右近太夫(森本一房)がこの地を訪れ、亡き父母の菩提を弔い、自らの信仰を捧げるために、十字回廊の柱に詳細な墨書(落書き)を残した。アンコール・ワットには彼を含め、計十数箇所に及ぶ日本人による日本語の墨書が残されており、これらは鎖国前夜における日本人の活動範囲の広さと、その精神世界を今に伝える極めて貴重な文化・歴史史料となっている。