金日成 (きむいるそん)
【概説】
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の初代首相・国家主席を務めた政治家。日本統治期における抗日パルチザン闘争を自らの権威の源泉とし、戦後の冷戦下において同国の絶対的な独裁体制を確立した指導者である。
抗日パルチザン運動と権威の確立
金日成(本名・金成柱)は、日本統治下の朝鮮に生まれ、幼少期に一家で満洲(中国東北部)へと移住した。1930年代に入ると、中国共産党指導下の「東北抗日聯軍」に参加し、抗日遊撃隊(パルチザン)の指揮官として活動した。特に1937年に敢行したとされる国内への襲撃作戦「普天堡の戦い」は、植民地支配に苦しむ朝鮮の人々に抗日の英雄としてその名を知らしめる契機となった。この時期の武装闘争経験は、戦後の北朝鮮において「抗日革命伝統」として神格化され、彼の終身独裁を正当化する強力なイデオロギー的基盤となった。
朝鮮半島の分断と北朝鮮の建国
1945年8月の日本の敗戦にともない、朝鮮半島は北緯38度線を境に北をソ連、南をアメリカによって分割占領された。ソ連軍の後援を得て帰国した金日成は、北朝鮮地域の指導者として台頭し、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言して初代首相に就任した。1950年には武力による朝鮮半島統一を目指して朝鮮戦争(祖国解放戦争)を引き起こしたが、米軍を中心とする国連軍と中国人民志願軍の介入により戦況は泥沼化し、1953年に休戦協定を結ぶに至った。戦後は、戦争の混乱に乗じて南労党派、甲山派、延安派、ソ連派などの対立派閥を徹底的に粛清し、自らへの個人崇拝を伴う一極集中体制を完成させた。
戦後日本との関係と歴史的連関
冷戦期において、日本政府は韓国(大韓民国)を「朝鮮半島における唯一の合法的な政府」としたため、金日成政権下の北朝鮮との間に正式な国交は結ばれなかった。しかし、1959年から始まった在日朝鮮人の帰国事業(北朝鮮への帰還事業)では、日本赤十字社と北朝鮮赤十字会の合意のもと、9万人を超える在日朝鮮人やその日本人配偶者が「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮へと渡った。また、1970年代から1980年代にかけて多発した日本人拉致問題は、金日成の長男であり後継者となった金正日らの工作機関によって主導されたものであり、現在も日朝間の最も重大な外交課題として残されている。金日成の動向は、植民地期から現代に至る日本の政治・社会と極めて深く結びついている。