礼(冠位十二階)

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】

礼 (らい)

603年

【概説】
飛鳥時代の603年に制定された冠位十二階において、最上位の「徳」、第2位の「仁」に次ぐ、第3の道徳規範として位置づけられた階位。上位の「大礼(だいらい)」と下位の「小礼(しょうらい)」に分かれ、五行説に基づいて赤色の冠で表された。

冠位十二階における「礼」の格付けと色彩

推古天皇11年(603年)に聖徳太子(厩戸皇子)らによって制定された冠位十二階は、従来の氏姓制度に基づく世襲制を排し、個人の才能や功績に応じて官位を授ける画期的な人材登用制度であった。この制度の階位名には、儒教の基本徳目である五常(仁・義・礼・智・信)に、根源的な徳である「徳」を加えた6つの道徳概念が採用された。「礼」はその中で「徳」「仁」に次ぐ第3の徳目として位置づけられ、それぞれ大小に細分化されて、第5階の大礼、第6階の小礼となった。五行説において「礼」は火に対応することから、この階位を帯びる官僚は赤色(大礼は濃い赤、小礼は薄い赤)の冠を着用することが定められていた。

儒教的秩序の受容と外交における「礼」の重要性

冠位の名称に「礼」が上位として組み込まれた背景には、当時の東アジア情勢と、中国(隋)の高度な政治思想・国家体制の受容がある。「礼」とは、儒教において社会秩序を維持するための規範や儀礼、さらには国家の制度全般を指す極めて重要な概念であった。当時、倭国(日本)は遣隋使の派遣を通じて隋との対等な外交関係を模索しており、国内の諸豪族を統制するだけでなく、外国の使節に対して自国が「礼」を重んじる文明国家であることを示す必要があった。大礼や小礼の冠位は、そうした朝廷の外交実務や儀礼において中心的な役割を果たす中堅・実務官僚たちに授けられたと考えられており、天皇家を中心とする中央集権国家の体裁を整える上で、極めて象徴的かつ実用的な階位であった。

最終更新:
2026年6月18日 @ 16:44

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