重要度
★★

(じん)

603年〜647年

【概説】
推古天皇11(603)年に制定された冠位十二階において、最上位である「徳」に次ぐ第2の階位。儒教の徳目である五常(仁・義・礼・智・信)の筆頭として位置づけられ、さらに「大仁」と「小仁」の2階に細分されていた。五行説に基づき青色の冠(服色)で表され、当時の朝廷における官僚の序列を示す重要な指標となった。

冠位十二階における「仁」の位置づけと色彩

冠位十二階は、聖徳太子(厩戸王)や蘇我馬子らによって推進された、日本で最初となる本格的な体系的冠位制度である。この制度では、最高位の「徳(大徳・小徳)」に次いで、第2の階位として「(大仁・小仁)」が置かれた。

各階位には五行説(万物は木・火・土・金・水の五元素からなるという思想)に基づく色彩が割り当てられており、「仁」は「木(春)」を象徴する青色(大仁は濃青、小仁は薄青)の冠と服色で表された。従来の氏姓制度が氏族の家柄(血統)を重視したのに対し、個人の才能や功績に応じてこれらの冠位が授与された点が画期的であった。

儒教思想の受容と国家統治への応用

階位の名称に用いられた「徳」および「仁・義・礼・智・信」は、中国の儒教思想における核心的な道徳観(五常)から採用されている。特に「仁」は、他者への思いやりや慈愛を意味し、儒教において最も重視される徳目であった。

このような思想的背景をもつ言葉を官位の名称に導入した背景には、豪族たちの私的な利害対立を抑え、天皇を中心とする官僚制国家を確立しようとする政治的意図があった。官僚たちに「仁」をはじめとする道徳規範の遵守を求めることで、中央集権的な支配秩序の精神的支柱としようとしたのである。これは、同時代に編纂された『十七条憲法』とも深く連動した統治理念であった。

外交実務での活躍と「大仁」授与の事例

「仁」の階位を持つ代表的な歴史的人物として、遣隋使として名高い小野妹子が挙げられる。妹子は推古天皇15(607)年に大業3(607)年に隋に渡り、対等な外交関係を求める国書を煬帝に提出した。

帰国時のトラブルによって一度は流罪に処されかけたものの、当時の東アジア情勢における緊迫した外交実務を全うした功績が評価され、小野妹子には「大仁」の冠位が授けられた(後に最高位の「大徳」まで昇進)。この事例は、実力を重視して人材を登用・評価するという冠位十二階の制度趣旨を如実に示しており、当時の「仁」の階位が、国家的な大役を果たした実務官僚に与えられる極めて名誉ある地位であったことを証明している。

女帝の古代日本 (岩波新書)

推古天皇から称徳天皇まで、古代日本において君臨した女性天皇たちの実像と政治的役割を解き明かす画期的な歴史書。

聖徳太子: 斑鳩宮の争い (中公新書 43)

厩戸皇子の事績を歴史学的視点から丹念に再考し、聖徳太子伝承の裏側に潜む複雑な権力闘争を描き出した一冊。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 武器の製造や軍事を担当し、仏教伝来時に物部尾輿・守屋の代で排仏を強硬に主張し、蘇我氏と激しく対立した豪族は誰か?
Q. 古墳時代に造られた古墳のうち、平面が四角い形(方形)をしているものを何というか?
Q. 律令制において、地方の豪族などが任命された郡司が、実際の政務を執り行った役所を何というか?