リコルド

高校日本史的重要度
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リコルド (りこるど)

1776年~1855年

【概説】
江戸時代後期のロシア極東艦隊の海軍軍人。ゴローニン事件において捕らえられた上官の釈放を求め、報復として日本の豪商・高田屋嘉兵衛を抑留した人物。のちに嘉兵衛との間に深い信頼関係を築き、日露間の紛争を平和的解決へと導いた。

ゴローニン事件の発生と高田屋嘉兵衛の拿捕

1811年(文化8年)、千島列島の測量を行っていたロシアの軍艦ディアナ号の艦長ゴローニン(ゴローウニン)が、国後島で日本の南部藩兵に捕らえられる事件(ゴローニン事件)が発生した。当時、ディアナ号の副艦長であったリコルドは上官の救出を試みるも失敗に終わる。翌1812年、リコルドは状況の打開を狙い、国後島沖で幕府の蝦夷地請負人であった豪商・高田屋嘉兵衛を拿捕し、カムチャツカへと連行した。これは人質確保による事実上の報復措置であったが、これが結果的に日露衝突の危機を回避する契機となった。

異例の信頼関係と平和的解決の実現

カムチャツカに抑留された高田屋嘉兵衛に対し、リコルドは人道的に接し、二人の間には国境を越えた深い人間的信頼関係が芽生えた。嘉兵衛から日本側の警戒心(かつてのロシア人フヴォストフらによる北方略奪事件への反発)の原因を聞き出したリコルドは、ロシア側に侵略の意図がないことを証明するため、カムチャツカ地方長官の釈明書を手配した。1813年、リコルドは嘉兵衛を伴って箱館に来航し、この公式文書を幕府に提出。嘉兵衛の尽力もあり、幕府はロシア側の釈明を受け入れてゴローニンを釈放した。武力衝突に発展しかねなかった日露間の緊迫した外交危機は、リコルドと嘉兵衛の相互理解によって見事に解決されたのである。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:20

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