小学校令

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】
小学校令(Wikipedia)

小学校令

1886年

【概説】
初代文部大臣である森有礼のもとで制定された、近代日本の初等教育制度の基礎を確立した勅令。従来の教育令に代わって小学校の体系を整え、尋常小学校の3〜4年間を義務教育期間と定めた。

森有礼の教育改革と「学校令」の誕生

明治政府は近代国家の建設に向けて教育制度の整備を急いだ。1872(明治5)年の「学制」発布、それに続く「教育令」の制定を経て、1885(明治18)年に内閣制度が創設されると、初代文部大臣に森有礼が就任した。森は「富国強兵」を支える有為な人材を育成するため、国家主義的な教育改革を断行する。

1886(明治19)年、森は従来の自由主義的な教育令を廃止し、学校種別ごとに独立した一連の「学校令」(帝国大学令師範学校令中学校令小学校令など)を制定した。このうち「小学校令」は、国民全体の基礎教育を担う初等教育機関を規定するものであった。小学校は修業年限3〜4年の尋常小学校と、4年の高等小学校に区分され、前者の尋常小学校の期間が、親が子供に受けさせるべき義務教育として法制化された。

「教育勅語」との連携と臣民教育の強化

小学校令はその後、社会の変容や国家方針の転換に合わせて度々改正された。特に1890(明治23)年の全面改正(第2次小学校令)は重要である。この改正では、同年10月に発布された教育勅語が学校教育の道徳的・精神的支柱として位置づけられ、小学校は国家に忠誠を誓う「忠良なる臣民」を育成する場としての色彩を強く帯びるようになった。

また、この改正によって義務教育期間は原則4年に統一され、就学義務の厳格化が図られた。当初は授業料の徴収や労働力としての子供への期待から就学率は伸び悩んだが、1900(明治33)年の第3次小学校令で尋常小学校授業料無償化が実現したことにより、就学率は爆発的に上昇した。その後、1907(明治40)年には義務教育期間が6年に延長され、近代日本の高い教育水準の基盤が完成することとなる。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:32

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