二官六省制 (にかんりくしょうせい)
1869年
【概説】
1869(明治2)年の官制改革によって整備された、明治初期の中央官制。古代の律令制をモデルにした「神祇官」「太政官」の二官と、その下で実務を担う「六省」から構成される体制である。
古代律令制の模倣と「祭政一致」の理念
1868年(明治元年)の政体書に基づく官制(七官制)に代わり、1869年7月の官制改革によって導入されたのが二官六省制である。この制度の最大の特徴は、王政復古の精神を強調するため、古代の律令制(二官八省制)を強く模倣した点にある。特に、天皇が執り行う神道的祭祀を国政の基本に据える「祭政一致」の思想に基づき、行政を司る太政官よりも上位に、祭祀を掌る神祇官が置かれた。これは、版籍奉還を断行した直後の明治政府において、旧幕府体制からの脱却を象徴するとともに、天皇の絶対的権威を全国に示して国家統合を急ぐための、復古的な政治演出であった。
近代化の進展と制度の限界
神祇官と並ぶ太政官の下には、民部・大蔵・兵部・刑部・宮内・外務の六省が置かれ、近代的な国家運営のための実務を分担した。しかし、復古主義的な「二官」の枠組みは、欧米列強に対抗すべく急進的な近代化(富国強兵や殖産興業)を進める明治政府の現実的な行政需要とは不整合であった。特に神祇官の優位性はすぐに実を失い、1871年には神祇省へと格下げされた。同年の廃藩置県を経て、政府は正院・左院・右院からなる太政官制(三院制)へと移行し、二官六省制はわずか2年足らずで廃止されることとなったが、ここで組織された「省」の仕組みは、のちの近代官僚制の基礎となった。