南北朝文化

伝統的な権威を軽視する「バサラ」の風潮が流行し、軍記物語などが好まれた南北朝時代の文化を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
室町文化(Wikipedia)

南北朝文化 (なんぼくちょうぶんか)

14世紀

【概説】
建武の新政から南北朝の動乱期にかけて、京都を中心に展開した過渡的かつ躍動的な文化。従来の公家による伝統的権威や既成の秩序が否定される一方で、実力を高めた武士や庶民のエネルギーを背景とした革新的な風潮が色濃く反映された。この時期に醸成された独自の美意識や精神は、のちの室町文化(北山文化・東山文化)の確固たる源流となった。

伝統的秩序を揺るがす「バサラ」の流行

南北朝時代は、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政の挫折、そして朝廷の東西分裂(南北朝合一まで約60年間続く大乱)という、未曾有の政治的動乱期であった。このような既存の権威が揺らぐ流動的な社会を背景に、従来の秩序や道徳観を意図的に否定し、実力主義や新奇さを重んじる「バサラ(婆沙羅)」と呼ばれる風潮が流行した。

「バサラ」とは、華美な服装で身を飾り、傲慢で奔放な振る舞いをすることを指す。その代表格とされたのが、美濃国守護の土岐頼遠や、近江国守護の佐々木道誉(高氏)などの新興守護大名である。彼らは天皇や上皇といった伝統的権威を恐れず、奢侈な生活を送り、破天荒な行動を好んだ。このバサラの精神は、実力を重視する「下剋上」の世相を象徴するものであり、のちの戦国時代の気風や織豊期の「かぶき者」へつながる、日本文化における美意識の一大潮流を形成した。

新興勢力の台頭と文芸・芸能の変容

この時代には、従来の貴族的な枠組みに捉われない、武士や庶民(庶民層の中でも「能動的な活動を行う人々」)を巻き込んだ新しい文芸や芸能が活発化した。

文芸面においては、複数人で和歌の上の句と下の句を交互に詠み継いでいく連歌(れんが)が大流行した。特に身分を問わずに集まる「寄合(よりあい)」の場で広く親しまれ、貴族の二条良基は、救済(ぐさい)らとともに連歌の規則を定めた『菟玖波集(つくばしゅう)』を編纂し、連歌を芸術的な域にまで高めた。また、南北朝の激しい動乱の展開を臨場感豊かに描いた軍記物語の傑作『太平記』が著され、後世の武士の倫理観や歴史観に多大な影響を与えた。

さらに芸能分野では、農耕儀礼に由来する田楽や、滑稽なものまねから発展した猿楽が、武士や庶民の間で熱狂的な人気を博した。これらはやがて足利義満の庇護を受けた観阿弥・世阿弥親子による能楽の大成へとつながっていく。

動乱期における歴史意識の深化

激しい南北の対立と政治的分裂は、知識人たちに「自らの正統性とは何か」を問い直させ、歴史書や思想書の執筆を促す契機となった。

南朝側の有力な公卿であった北畠親房は、幼少の後村上天皇(後醍醐天皇の皇子)に皇位継承の正統性を示すため、『神皇正統記』を著した。この中で親房は、「大日本は神国なり」とする神国思想を唱え、南朝こそが正しい皇統であることを論理的に基礎づけようとした。これに対し、室町幕府(北朝)側では、足利氏の政権獲得の経緯を肯定的に記述した『梅松論(ばいしょうろん)』が著された。このように、政治的な立場から自らの歴史的正当性を強く主張し合う中で、日本独自の歴史観や政治思想が深められていった点も、南北朝文化の重要な側面である。

中世の秋(上) (中公文庫 ホ 1-5)

衰退する中世の精神世界を絢爛豪華な色彩と劇的な情念で描き出した、歴史叙述の傑作といえる一冊。

南北朝時代 (講談社現代新書 2812)

動乱の渦中で南北両朝の対立がいかに社会を変容させたかを、精緻な史料分析で解き明かす歴史の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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