子返し
【概説】
江戸時代、主に農村部において行われた、生まれたばかりの新生児を人為的に殺害する「間引き」の俗称・隠語。神仏から授かった命を一時的に「神の国へお返しする」という、当時の民俗信仰的な死生観を背景とした表現である。
「子返し」の語源と民俗的死生観
江戸時代中期以降、特に東北地方をはじめとする飢饉や重税に苦しむ農村部において、出生直後の乳児を窒息等によって殺害する間引きが広く行われた。この行為を直接的な殺人として捉えることを忌み、親としての心理的葛藤を和らげるために用いられた隠語が「子返し(または子戻し)」である。当時の民俗信仰において、幼い子供(特に「七つ前」とされる時期)は現世に完全には定着しておらず、「神のうち(神の領域に属する存在)」と考えられていた。そのため、養う余裕のない赤ん坊を死なせることは、殺人ではなく「神仏から一時的に預かっていた命を、元の場所へお返しする」という論理によって精神的に正当化されていた。
農村の困窮と幕藩による人口・福祉政策
「子返し」が横行した背景には、天明や天保に代表される大飢饉や、容赦ない年貢負担による貧困があった。また、家名存続に必要な労働力を確保しつつ、口減らしを図るという農家経営上の冷徹な打算も働いていた。これにより各地の農村では深刻な人口減少(特に女児の間引きによる男女比の不均衡)が生じ、農業労働力の不足や農村の荒廃を招いた。この事態に対し、江戸幕府や諸藩(白河藩の松平定信など)は「間引き禁止令」の布告や、妊婦に手当を支給する赤子養育法などの保護政策を講じて人口回復を図ったが、農村の根本的な窮乏が解決しなかったため、この慣行は明治政府によって厳罰化されるまで根強く残存した。