天竜川
【概説】
諏訪湖に源を発し、伊那谷を経て遠江国(現在の静岡県)へ注ぐ一級河川。江戸時代初期に京都の豪商・角倉了以によって開発され、信濃の豊富な木材や物資を太平洋側へと運び出す重要な水上輸送ルートとなった。
角倉了以による水路開削と物流改革
江戸幕府の成立に伴い、大消費地である江戸や「天下の台所」となった大坂を中心とする広域流通網の整備が急務となった。こうした中、京都の政商・角倉了以とその一族は、徳川家康の命を受けて各地の難所河川の開削事業に乗り出した。大堰川(保津川)や富士川、高瀬川の開削と並び、了以は1611年(慶長16年)に天竜川の本格的な舟路開発に着手した。
天竜川は、中央アルプスと南アルプスに挟まれた険峻な谷間を流れるため極めて流れが急であり、古くから「暴れ天竜」と恐れられていた。了以は、川底の岩石の破砕や水路の整理を行うことで、伊那谷から遠州灘に至る舟路を整備した。これにより、それまで陸路(三州街道など)の馬背輸送に頼らざるを得なかった信濃内陸部から太平洋側への、画期的な大量輸送システムが構築されることとなった。
木材輸送と遠江の河口港「掛塚」の繁栄
天竜川舟運の開通によって、最も活性化したのが信濃国(特に伊那地方や木曽谷周辺)の豊かな森林資源から切り出される木材の輸送である。近世の都市建設や、相次ぐ大火からの復興において木材需要は絶大であり、天竜川はこれらを一気に下流へと流し送る「筏(いかだ)流し」の大動脈となった。
木材のほかにも、信濃の年貢米や特産品(煙草、漆など)が川を下り、下流の河口に位置する遠江国の掛塚港(現在の静岡県磐田市)へと集積された。掛塚は千石船が寄港する東海道屈指の商業港として繁栄し、ここから江戸や大坂、瀬戸内方面へと物資が海上輸送された。逆に、塩や干魚などの海産物は、天竜川を遡る「登り船」によって山間部へと運ばれ、内陸山間地域の人々の生活を支える経済的紐帯となった。