近衛信尹 (このえのぶただ)
1565年〜1614年
【概説】
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した公家、書家。本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の一人に数えられ、型にとらわれない豪快で個性豊かな書風を確立した近世初期を代表する文化人。
「寛永の三筆」と近衛流(三藐院流)の創始
近衛信尹は五摂家筆頭の近衛前久の子として生まれ、高い家格を誇る宮廷政治家でありながら、優れた芸術的才能を発揮した。伝統的な公家の書風(世尊寺流など)の枠にとどまらず、古典を深く学びつつも、自由奔放で力強い独自の書風を確立した。その書風は、彼の号(三藐院)にちなんで「三藐院流(さんみゃくいんりゅう)」または「近衛流」と呼ばれ、当時の宮廷社会のみならず、武家や平民の間でも広く流行した。その独創的な能書ぶりは、後世において本阿弥光悦、松花堂昭乗と並び「寛永の三筆」と称され、日本の書道史上きわめて高く評価されている。
激動の生涯と近世公家社会への転換
信尹が生きたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人が次々と現れ、中世から近世へと社会が大きく変貌を遂げる激動の時代であった。彼は気骨ある性格であり、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)の際には、自ら志願して肥前名護屋城へと赴こうとし、後陽成天皇の怒りを買って薩摩国へ流罪に処されるという、公家としては極めて異例の経歴を持つ。この薩摩配流期に、現地の島津氏ら武家と交流を深め、独自の精神性と書風をさらに深化させた。帰洛後は関白に就任し、朝廷の再建と文化の振興に尽力した。彼の型破りな生き様と芸術は、戦国乱世の気風を残しつつ、新たな江戸の文化を切り開く先駆的な役割を果たした。