平忠常 (たいらのただつね)
?〜1031
【概説】
平安時代中期の坂東平氏の武将。房総半島を拠点に国司の支配に対して大規模な反乱(平忠常の乱)を起こした人物。この反乱の平定過程は、清和源氏が東国に強固な基盤を築く契機となった。
房総における武士団の形成と反乱の背景
平安時代中期、地方では国政改革に伴い、現地に派遣された受領(国司)が徴税権を背景に強権を振るうようになっていた。これに対し、各地で開発領主として土着した軍事貴族(武士)たちは不満を募らせていた。桓武平氏の系譜を引く平忠常は、下総国や上総国(現在の千葉県)を拠点に勢力を拡大し、国司の支配に激しく抵抗した。1028年(長元元)、忠常が安房守を殺害したことを契機に「平忠常の乱(寛仁・長元の乱)」が勃発し、房総地方は朝廷の支配から事実上離脱することとなった。
源氏の東国進出への契機
朝廷は当初、平直方を追討使に任命したが、忠常の頑強な抵抗に遭って乱の平定は難航した。そこで朝廷は1030年(長元3)、甲斐守であった源頼信を新たな追討使に任命した。頼信の武名と軍事力を恐れた忠常は、戦火を交えることなく翌1031年(長元4)に降伏し、京へ連行される途上で病没した。この乱の平定により、河内源氏の祖である源頼信は東国の武士団と強固な主従関係を結ぶことに成功し、のちの清和源氏の東国進出、ひいては鎌倉幕府の創設へとつながる歴史的転換点となった。